12個目の正の字を書き終えた朝、監守が俺に話しかけてきた。
「出ろ。」
禁錮30日だったはずだが、俺が釈放された時は、すでに60日が経過していた。映画や漫画、ドラマとかで日数を忘れないように、壁などに傷をつけてカウントする描写があったが、それを自分がやる日が来ようとは……。
牢に入れられた数日は、三食出されるオジヤをすすりながらグラップラー刃牙のことを思い出して呑気していたが、オジヤでしか時間の経過が分からないことに不安を覚え、あわてて、スプーンで壁に傷をつけるようにした。
数日経った後だから、もしかしたら1、2日はズレがあるかもしれない。今まで数を数えると言えば、ジャグラーのブドウくらいであった。もしも、カチカチ君が手元になったなら、オジヤの回数をカウントして日数を推測したであろうか。
ともあれ、自分が30日以上も監禁されていた理不尽は分かったが、その理不尽を領主の男に訴えても、弁護士もいないこの世界においては、いや、弁護士はいるのかもしれないが、少なくとも俺を救ってくれる弁護士がいない状況では、その訴えに意味をなさないだろう。
服従。60日間、オジヤという形で生殺与奪されていた俺は、領主に歯向かおうという気持ちはなくなっていた。
駐屯所の地下にあった牢屋から、地上に出ると、季節は秋になっていた。気温と空気。幼稚園の園児達が汗を流してストイックに走り回っていた頃、あれは、きっと夏だったんだろう。この世界にも四季があるらしい。
目の前に女が現れた。幼稚園の同僚であり、上司。この世界で一番最初に出会った人。オランダさんだ。並の物語であるなら、ここで再会のハグでも一発するのであろうが、お互い、アラサーであるし、十の位が後半になればアラフォーとか言われる年頃であるから、その再会は淡々としたものだった。
「くさそう。」
……いや、現実は厳しかった。オランダさんとは、完全なソーシャルディスタンスをとりながら、園に戻る道々で、俺が収監されている間の話を聞いた。オランダさんは、俺が外に出られるように、何度も領主にかけあってくれたらしい。
その中で、司法取引(?)のような形で、領主に関係を迫られて、それを断ったりしたらしい。まさか、オランダさん、俺のために……と不安になって、オランダさんを見ると、意味深な手つきをしたような気がしたが、それは全力で見なかったことにした。
オランダさんは、アミダクジの危険性と同時に、面白さなどを領主に説明していたらしい。途中で、不倫を持ちかけられて話がややこしくなったが、アミダクジに関して領主を説得している間に、追加で30日が過ぎて、結果、64日の間、俺が収監されることになっていたらしい。日数のカウントを4日も間違えていたことに驚いたのと……。
「それって、オランダさんのせいで倍も牢屋に入っていたってことなんじゃ……。」
と呟いた。そうするとオランダさんは「違います」とハッキリ言った。ハッキリ言われすぎて、それ以上、言い返せなかったのだけど、オランダさんのせいだと俺は思う。
「秋祭りで、アミダクジ屋の出店を取り付けました。」
耳を疑った。どういうこと?
「領主のハラグロ=クサレ=シンセキ=ヘンタイ様を説得して、今度の秋祭りでアミダクジ屋をやります。」
耳を疑った。なんつー、名前だ領主。
「いつか、あなたが話してくれた日本の秋祭りの出店のような感じでしょうか。この村の秋祭りでは、いいえ、この世界では、偶然の結果で商品の授受を行うような遊技はありません。焼き鳥や綿菓子、金魚すくいのようなモノはありますが、面白さを提供するような屋台はないんです。」
オランダさんは続ける。俺が収監されている間、オランダさんにどのような心境の変化があったのだろうか?
「あなたが、オジヤを食べている間、ババア園長と、子どもたちと一緒に話しました。キョウ君とも話しました。確かに、アミダクジは、人の命を奪いかねない事件を引き起こしました。」
園に戻ったら、まず、キョウ君に、キョウ=ユウ=キョウ君に謝ろうと思った。あと、「京遊協」という言葉がどれくらい一般的なのかが気になった。
「それでも子どもたちと話し合ったんです。例えば、誰かのことを好きになったとして、その人のことを考えるあまり、思い詰めたあまりに、間違ったことをしてしまうこともあるかもしれない。だから、恋愛というものを否定できるのか?など。子ども達と話すには、内容がふさわしくなかったかもしれません。美味しいお菓子も食べすぎると虫歯になる。だから、美味しいお菓子は否定されるのか?そんな話です。」
「それはつまり、面白すぎるオミダクジを、直ちに否定するべきではない、ということですか?」
「そうです。私のこと、頭の硬い女だと思ってたでしょう?」
「はい。」
「はぁ?」
「……いいえ。」
「でも、あなたが教えてくれたアミダクジを知ってから、私の生活は豊かになったと思います。今も、目の前に縦線と横線が浮いています。どの線が当たりに繋がっているのか?当たっていれば嬉しいし、当たらなくても楽しいんです。このアミダクジは、きっと多くの人を楽しませることができる。そのことをヘンタイ領主様に言って聞かせていたんです。」
そんな話をしつつ、幼稚園についた。園長と園児たちは、ベニヤ板のような薄い板に模造紙のような広い紙を貼り付けて、アミダクジ屋の準備をしていた。オランダさんは、完全に依存症になってしまった。オランダさんの言葉をどのように受け取るかは人それぞれだけど、俺は依存症だと思った。
「あれこれ理由をつけて肯定しようとする」、これが依存症の特徴の一つだと思う。パチンコ・パチスロではないが、喫煙者とかは「芥川龍之介もタバコを吸っていた!」とか言いがちだし、大麻で逮捕された芸能人とかは植物としての麻の有用性や、外国での大麻規制、医療用大麻など、肯定できる部分を探して、肯定しようとする。肯定することで、心の中の後ろ暗さを相殺させているのだろうか?
オランダさんの心の中を正確に把握することはできないけど、俺が牢屋に入っている間でも、オランダさんの足元に広がった沼は、ずぶずぶと彼女を沈ませ続けていたらしい。
ギャンブル的なモノが存在していなかった世界に、アミダクジという形で、ギャンブルを持ち込んでしまった。自分が行ったことの影響が恐ろしく思える一方で、この世界でパチスロ的なモノで金持ちになるという夢に一歩近づいたようにも思えた。
「流れに身を任せよう。」
思わず、呟いた。
「どうされました?」
園児と一緒に屋台の準備をしていたオランダさんが、振り返ってそう言った。その目は輝いていた。だが俺は、その輝きの中に含まれていたモノを正確には把握してなかったようだ。ただ、オランダさんも楽しそうだ、と思った。あと、ババア園長の目も輝いていた。熟女。それは、不気味な輝きだった。