以下の記事を読んでみて。読んでしまって。
- 自殺教唆容疑:交際相手にスマホで「死ねよ」 慶大生逮捕 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140221k0000e040239000c.html- はてなブックマークしたこと[社会]グローバルな視点で考えれば、どんな風に考察できるのだろう。方法を提示するのは、かなりヤバイと思うが。メールのやりとりでも、犯罪になるのですね。
自殺教唆という罪には詳しくないが、ニュースの中の以下の部分。
「手首切るより飛び降りれば死ねるじゃん」
この具体的に方法を提示するのは「死ね」から「死」いたるまでの何歩のうちの一歩か数歩、後押ししたのかも知れないな。この事件から何かを得るとするならば、冗談でも本気でも人に「死ね」とは言ってはいけない…ということだと思った。
しかし、同時にそういうことじゃあないと思った。
自分よりも若い人が自殺するのは精神的にこたえる。
最終的にこう思った。はてなブックマーク等々で示されているツイッターやはてなブログ、FC2ブログなどを読んでみると、あくまで印象でしかないのだけど、生きているだけで、苦しさを感じている人のように思えた。これは、元ニュースの大学生を擁護する訳じゃあないけど、ツイッターを見たら、本当に驚いた。親や関係者の人々は、ブログやツイッターの存在をしっているのだろうか?インターネットで見知らぬ私が読んだのだから、家族に伝えて、削除するなり、残すなり委ねた方がいいのではないか、と思った。
21歳と言えば、私よりも10歳以上も年下の人々だ。面識もないし、私が何かできた訳でも当然ないのだけど、同じ社会に生きている一員としては…みたいなことを考えた。死ななくても、生きていれば…ということを考えるけど、私よりも、もっともっと思いモノを抱えている人はいるだろう。
共育学舎のことをまた、思い出していたのだけど、楽しくて、楽しさしかない場所があれば…とかも考えた。
知らないところで、知らないうちに起きたことだけど、どうも頭の中からモヤモヤが離れない。ともかく「死ね」という言葉は、思っても使わない方がいい。