大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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すわ…私が結婚できなかった理由(俺の様にはなるな)。

 母方の祖父のお葬式の時に、ほとんど話さなくなった兄と、結婚などの話をした時に、「自分は結婚は諦めている」という旨を伝えたのだけど、「30歳ぐらいで結婚を諦めるのは早い。自分と同い年(兄は5歳年上)でも婚活を頑張っている人はいる。」みたいなことを言われた。それからしばらくして、兄の職場の女性で、「学生時代に演劇をやってた人」らしく、多少なりとも私に興味を持たれたらしく、「紹介しようか?」みたいなことを、母を伝って聞いた。

 それを聞いて、私は、「無職に女性を紹介しようなんて酷い侮辱だ。とうとう、実の兄にまで辱められる立場になってしまったか…」と精神的に沈降し、そんな詳細を伝えても、母と兄を悲しませるだけだと思ったので、『丁重にお断りをした』…のだが、兄は、「メールの交換くらいしてみない?」みたいなことを、母を通じて、もう一度伝えてきた。同様の思考をした後に、『丁重にお断り』をした。


 会社員時代に、『恋愛至上主義』とでも言える感覚を同僚、先輩から感じたことがあった。人生で頑張る意味、働く意味、その他諸々が、全て異性との恋愛・結婚等々に結びついている考え方であろうか。常に恋愛をして、そして、常に恋人を求め、そして、最後には結婚をする…という考え方だろうか。兄とは、『女性を紹介』に関して、会話をしていないのだが、自分が酷く傷ついたということは、多分、伝えなくて良いと思うのだけど、きっと、兄は…女性を紹介することで、無職、そして、ニート然とした私のやる気を喚起したかったのじゃないか?と思う。そこまで考えからこそ、『辱めを受けた』という思考に繋がっていくのだが、自分でも厄介な性格だと思う。


 恋愛や結婚に関して、適齢期なんてモノがある。女性の場合は、どうしても、妊娠・出産という要員を考えて、それにともなうリスクを考えると、20代前半くらいで結婚する方が良いらしい。男の場合は、男性機能という部分が、何歳くらいまで存続するかは、現在進行形で体験している訳だけど、20代の頃よりは衰えた気がするけど、実は、体力などよりも、精神的な部分が多いような気がする。性の話は、あんまり関係ないのだが、適齢期等々の問題以前に、「私の結婚に対する意欲」というモノが既に萎えてしまったのが大きい気がする。若い頃ほど、誰かを激しく好きになることもなくなったし、自分が無職なモノだから、基本的に、自分以外の人の方が、誰かを幸せに出来るように感じる。また、意欲が萎えてしまったのは、きっと、恋愛において、成功を積み重ねず、失敗を繰り返したことが大きいと思う。基本的に私は頭が良いから(自分ではそう思っている)、自分には向いてないことや、出来ないことは、切り離して考える部分がある。私は、恋愛に向いてなかった。


 20代になってからだと思う。私が、恋愛をしだしたのは。それ以前も、それこそ、小学校くらいの時から、誰かを好きになったりとかはしていたのだけど、その気持ちを伝える…ということはして来なかった。初めて異性に告白をしたのは、大学生になってからだ。人生で最初の告白は…電話だったかな。見事に散った。その後、大小様々だけど、大学・大学院生の間に、3~5人の異性を好きになり、ことごとく、上手くいかなかった。かなり、見苦しいこともしており(詳細は60歳くらいになったら振り返ります)、当時の後輩に「根性が腐っている」と言われた始末。

 結局のところ、私の20代の敗因は、「どうして駄目だったか?」というのを詳細に聞いたところで、本心が返ってくる訳もなく、そして、精神性の部分では「諦めが悪すぎる」という部分が思い当たる。出来もしない夢想に酔いまくっていたというか、そういう意味では『恋愛』しているのだと思うけど、『交際』とか、現実的な部分には、遠い気がする。

 いや、それ以前に思い当たる部分が多数あります。それは、『清潔感』とか、『身だしなみ』とか、そういう部分です。正直な話、私は、身だしなみも悪く。不潔です。毎日お風呂に入って、髪も洗いますけど、髭も剃りますけど、それは最低限の部分でしょう。同じ服を何日も着たりして、正直なところ、『義務感のように毎日入浴する』とか、嫌いです。社会生活を営む上で、厳しい部分もありますが、お風呂なんてのは、『入りたくなったら入る』くらいで良いと思います。自分の体臭とか良く分からんですが、電車の中で迷惑をかけているのじゃないかな?とか、思う部分はありますが…。

 その辺りを考えてみると、実は、私は、恋愛において、『スタートライン』に立ててなかったのだと思います。内面の部分は、捻くれてますけど、そこそこ善良な人間だと思っています。私よりも極悪な人間もいるでしょう。顔立ちとかは、よく分かりません。自分では結構好きですが…。しかし、身だしなみ等々において、スタートラインに立ててなかったとしたら、20代の恋愛のコアタイムにおいて、勝てない勝負をやり続け、失敗体験だけを積み重ねた結果が、30代冒頭での「結婚の諦め」であり、それが、きっと、負け犬思考なんだと思います。


 では、スタートラインにすら立ててなかった私が、恋愛に向かわしたモノはなんだったのか?そこに(私にとって)魅力的な女性がいたことは間違いないのですが、私が恋愛をする自信は何だったのか?『バクマン。』というマンガがあります。その中に、作中の負の要素を一手に引き受けたかのような男、中井巧朗という男がいます。彼は、マンガの作画の実力が劇中で指折りなくらいに達者なのに『(仕事としての)漫画と恋愛をごっちゃ』にして、漫画技術を自分の自信と転化させて、二連続の失恋をします。漫画の技術と、人間的な魅力は、また、別の部分であり、技術の高さが、高慢、勘違いに繋がった…そういう印象を受けました。

 彼をみて、「これは自分のことだ」と思いました。20代の私が恋愛に駆り立てたモノ、流石に自分に自信がなかったら、恋愛なんて出来ませんし、私の自信の『根源』は、『演劇』にありました。その自信だけで突っ走り、スタートラインに立てなかった感じでしょうか。いや、うすうす気付いて部分もあるでしょうけど、性質として、どうしても出来なかった部分のようにも思えますが。私の演劇に関する自身は、『演劇を一生懸命に取り組めば、きっと全て上手く行く』などという勘違いも生んだ気がします。演劇に関する自信を細かく考えると、自己評価になりますが、そこそこ面白い脚本を書き、演技始動を行えば、演技を向上させることができ、上手い役者じゃあないですが、そこそこ面白いことが出来る…という部分でしょうか。大体、21歳頃から、そういう自意識は出てきたと思います。しかし、その自信の使い方を間違えた。失敗体験を積み重ねてしまった…という辺りに、中井巧朗氏にシンパシーを感じる部分です。

 一応、私が、一度、会社員になったのは、『恋愛』が動機でした。留年している学生のままで恋愛するのじゃあなくて、一度、社会に出て、給料を貰った立場で、『恋愛』をしよう…みたいなことを考えて、私の人生の中の一番の頑張りを見せて、京都の中小零細企業に勤めました。しかし、スタートライン問題は、放置のままで、結局、結果は残せずに、その事とは関係ないですが、3年と三ヶ月で仕事も辞めて、その後、職業訓練とかを受けて、現在に至っております。

 私が『恋愛で成功しない』、『結婚できなかった』部分は、そもそも、チャレンジした回数が少ないのかも知れません。見切りをつけた…という逃避をしていることは、自覚しておりますし、さらに、スタートライン云々じゃあなくて、そもそも、人格的に破綻しているのかも知れません。10人いたら10人が好きになるような相手を好きになる…という嗜好の部分にあるのかも知れません(ライバルが多い)。何が原因で、何が駄目だったかは、結局は、真実は自分では分からないのかも知れないですが、多分、これくらいの経験で『萎えて』しまった『負け犬思考』というモノが一番の問題のように思えますが…。


 「最近の若者は…」みたいな話題は常に存在しているのだと思いますが、きっと、それは人生に勝っている人が言える言葉なのでしょうね。私は、勝ててないで、偉そうなことは言えませんが、そんな中で、「自分よりも若い人に発することのできる言葉は何かな?」と考えた時に、「俺の様にはなるな。」ということでした。このエントリは、恋愛や結婚に関して、私が「勝てなかった」理由みたいなモノを書き殴ってみました。この内容が「愚かな人」が書いたと思ってもらえれば、多分、大丈夫だと思いますが、「共感」とか覚えた人は、ちょっと危険な気がします。また、自分とは関係ない…と思いつつも、自己陶酔・憐憫・嫌悪・錯誤というのは、麻薬のように精神を蝕み、そして、心の中の牙、刃を一気に錆びさせてしまう危険性があります。あんまり好きな言葉じゃあないですが、「人生は勝たないとダメ」ということが、ようやく、分かったような気がしました。

 このエントリが、どれくらいの人が、誰が読んで、そして、読まれた方が、どのような恋愛体験をされているかは、私には分からないですが、それでも32年目の人生で言えることは、「俺の様にはなるな」ということです。多分、私のようになっても、こんなテンションの低いエントリを書くくらいのことしか出来ないのですから…。

 もこみち。