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自殺した人を「弱い」と表現すること自体が強者の理論でそれが怖いです。

以下の記事を読みました。

  • 先日の記事「自殺する人は弱い」が炎上した件について - grshbの日記
  • ブックマークコメント+[はてな][炎上][考え方]「弱い」ことを「弱い」と表現することで止まる。自殺した人を「弱い」と表現すること自体に恐ろしさを感じるのです。強くなれなかったことは、死んだ人の責任じゃない場合もあるのだから。しかし、言及記事で二回目を燃やせるってのもたいしたものだ。


弱さとは?強さとは?人間の生き死にを「弱い」「強い」の二元論的に書いたことが、そもそもの炎上の始まりだと思います。

では、弱さとは何なのか?例えば、まったく同じぐらいの絶望的状況に陥って死ななかった人と、死んだ人がいれば、死ななかった人は強いのか?生き残った「強さ」はあるかも知れないけど、そうだとしても強弱で語ってはいけない部分なのだと思う。

そして、「弱い」という言葉には、それを受け入れる意味を加わえなかったら、自己責任とか、強くなるための努力とか、そういう「強さ」に向かったイメージが自然と強くなると思います。許容しない「弱さ」の指摘は、それ自体が強さの強要のように思えます。


私の短い人生でも、自殺に関わったことは何回かありました。自分も関係していたときと、知り合いに関わる部分だったり。元の炎上した記事の内容から考えると、それはその人が「弱かったから」と説明できますが、ではそれに追い込んだモノは何だったのか?と考えると、「弱い」なんて言葉は使えないと思います。

理不尽な叱責、自分ではどうすることもできなかった社会情勢や、人との関係などなど…。仮に人との関係で悲劇が起きたときに、そこに至らしめた人は「強い」のか?生死の意味では生き残った方が「強い」のかもしれませんが、それが間違っていたとしても「弱さ」とは表現できないように思えます。


元記事と、言及記事が燃えている理由はよくわかります。人の死を「弱さ」と表現すること自体が、人の心の柔らかい部分に突き刺さっていくことだと思います。例えば、氏が自殺の寸前まで行き思いとどまった経験などがあれば、文章に別の説得力が生まれるかもしれませんが、読んだ二つの記事では、それは分からない。