大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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自殺した人に「アホ」とは言えないし、自分が自殺を考えた時は「アホ」って言われても、何も変わらなかっただろうな。

以前、自殺に書いてブログ記事を書いて、何人かのはてなーを敵にまわして、私の方からも嫌いになって、結果として、何も残らなかった私ですが、その頃よりは少しは成長したと信じたいですが、またもや、Hatenaで起きていた炎上に関して書きます。

「自殺」を話題にする時は、書き手の人生経験は大事だと思います。親の知り合いが自殺した。会社の同僚が自殺した。知り合いの家族が自殺した。私自身も自殺しようと思って、少しだけ行動したことがある。

これらの人生経験において、感じたことを書いてみます。

自殺した人に「アホ」とは言えない。

私の人生において、直接的にも、間接的にも自殺した人を知っているわけで、「アホ」なんてことは言えない。親の知り合いと、会社の同僚の自殺に関して、その決定が正しかったとは、本人の命が戻らないことや、本人が無理でも他に解決策があったこと、自分も少なからず関わっていたことを考えると、だからこそ無念な気持ちは生涯消えないのだと思います。

「正しい」とは言えませんが、死んでしまった二名の大人に対して、「アホ」なんて言葉は絶対に使えません。「自殺する人」と「自殺した人」は違うのかもしれませんが、それらは連続していて、繊細な問題だから、読んだ人、受け取った人が頭の中でくっついて認識しても、仕方がないのかもしれません。

あえて、自殺をアホで語るなら、「自殺者が出る社会はアホ」という言葉が思い浮かびましたが、その言葉を使うつもりはありません。

自分が自殺を考えた時は「アホ」って言われても、何も変わらなかっただろうな。

結果生きているので、自殺は未遂の未遂くらいでした。私は大学を4年、大学院の前期課程を4年(つまり2年留年)しているのですが、2回目の留年が決まった時に、「もう大学院辞めます」と決めると、学校の方から「家に言って、ナカノ君の現状を相談したい」みたいな話になって、「ああ、もうダメだ。逃げきれない。死のう」と思いました。

思った後に、近所のタバコ屋(今はもうない)に行って、タバコの吸い殻を拾ってきて、それをペットボトルに入れて、水を入れて、ウイスキーを入れて、見た目が茶色い水を作ってました。あと、どこかで拾ってきた登山ナイフを懐に入れた状態で、面談を行い、その後に、親は死ぬほど怒ったので、茶色い水を一気飲みしようと思ったけど飲めず、ナイフを手首にあてて、薄皮がめくれるくらいに力を入れたのですが、引けず、結果、生きているわけです。

まあ、未遂の未遂の未遂くらいなので、「てめーのは自殺の「じ」の字にも達してない」と言われたらそれまでだろうし、私もそう思います。しかし、当時のリアルな感情を思い出すと、自分でもどうしようもないくらいに、心が冷えていく感じを思い出すと、「アホ」なんて言葉は全くの無意味です。プラスにも、マイナスにもならず、怒ることもなかったでしょう。

その同様の心の冷えは、数年後に、「マジでぶっ殺す」と思った時に、頭の端が冷えていく時に思い出したのですが、まあ、人を殺すことはなかったですし、多分、私は殺人の方がハードルが高いです。

以下は、関連するエントリで読んだ中での一文です。

本当に自殺を止めようとするならば、相手が自殺することで解決しようとしているものは何かに目を向ける必要があるのだと思いますが、「自殺するやつはアホ」と口にしている人には間違っても相談できません。

「自殺するヤツはアホ」問題についての考察 - 紙の言葉

自身の経験を思い出すと、本当に頭が冷えきると、アホも、解決も意味もない状態まで進んでしまうと、どうしようもないですが、「相談する」というプラス方向に心が向いている時に、「アホ」なんて言葉は、逆効果に働くことが多いでしょう。

似た話題で、他のブログからの引用です。

「死にたい人の死にたいという気持ちを安易に否定するのやめろ」ということで、「辛いなぁ、死にたいなぁ」という言葉に対して「辛いの? 大変だね」という言葉と「そのくらいで自殺するなよアホが」と言われるの、どっちがいいと思うってことです。

自殺の話はやめろ - さよならドルバッキー

全くの別角度だけど、「自殺」に関してブログ記事を書いたことがあるから、私にも刺さる。私の場合は、家族に「死にたい」と言えるタイミングと状況じゃあなかったので、相談する……というケースは発生しなかったのですが、もしも、相談する機会があったなら、やはり「アホ」はキツいものがあったと思います。

「オレも、親と教授と一緒に会って話してやる!」とか言ってくれる人がいたら、当時は救われていただろうと思います。

「自殺するやつはアホ」という論調は、死に接した人間には伝わりにくいのではないだろうか。

以下は、発端のエントリからの引用です。

「自殺するやつはアホ」という論調は、僕はもっともっと広く知れ渡ってほしいです。保育園落ちた日本死ねと同じように、過激で間違った表現かもしれないですが、これが浸透して、本当にみんながそう思えばそれでいいんじゃないでしょうか。

ダウンタウン松本の「自殺するヤツはアホ」という理論 - 四条通り週末.com


おそらく、アホとは「アホらしい」とか、「損」とか色々な言葉で置き換えられるのかもしれませんが、余裕を持って言葉を受け取れる人々の間でしか広がらないだろうし、現状で元エントリが炎上していることを考えると、多くの人を傷つける可能性はあるのじゃないでしょうか。

「じゃあ、私の知り合いで自殺した人はアホなのか?」と思いますが、おそらくエントリの中で「するやつ」と「したやつ」は切り離されているのでしょう。「するやつはアホ」というのが、自殺をする人が減ればそれで良いのかもしれませんが、もっともっと大きな社会的背景、原因、世の中の閉塞感などにこそ、目を向けなければいけないと思うのです。

日本人だけでも1億人以上いる中で、全てを包括的に解決することは難しいでしょうが、私の人生の中で自殺した二人の人は、二人ともがお金に関わることで死んでしまいましたし、金額的にはおそらく500万円位内のことだと思います。

もしかしたら、元エントリの文意に添うと、「500万くらいで死ぬやつはアホ」ってことになるかもしれませんが、その二人の世界では、それがもっとも苦しませた……と思うしかないのです。

まとめ。

最初にも書いた部分はありますが……。

  1. 「自殺するやつ」と「自殺した人」は元エントリでは切り離されて考えられていたとしても、私は自殺した知り合い、同僚に「アホ」という言葉は向けることができないし、会ったことない人でも絶対にできない。
  2. 自分が自殺の未遂の未遂の未遂の未遂くらいに臨んだことを思い出すと、「アホ」という言葉は、プラスにもマイナスにもならない。
  3. 「相談できる」段階にある人を突き放す可能性がある。
  4. 「自殺するやつはアホ」という言葉を支持できる層と、できない層があったとして、現状として、その溝を埋めれる可能性感じない。

こんな感じです。

余談・炎上してもアフィリエイトでブログは儲かる。

関連するエントリの中で、炎上やアフィリエイトに関して。

ブログを炎上させることでお金が稼げると思っている彼は、度々燃えやすい話題にチャレンジしているようだ。この純粋に信じるピュアな心が応援する所以である。

「自殺するヤツがアホ」と書くブログを全力で応援したい - つまり私は正しい


現在のアフィリエイトの限界のように思えますが、そのうち、良いPV、悪いPVの評価などはされるようになるのじゃないか?と思えます。露悪的な、扇情的な内容による拡散はやがてコントロールされるのでは?という意見を現在Facebookで働いていて、一度だけ演劇で共演した有名な人が書いてます。

(こちらの記事→ヘイターというビジネス | 辺境社会研究室 まだ現状は追いついてないですが、説得力のある記事です)


また、炎上してPVを稼ぎ続けるのは、多くのHatenaブロガーが挫折していることを考えると、それを続けていくことができたら、すごい才能か精神力なのじゃないか?と思います。支持するワケじゃあなりません。

以前、「自殺」に関して書いて少しだけ炎上したエントリ。

yarukimedesu.hatenablog.com

この頃からは、少しだけは、私が成長していると信じて。