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マンガリテラシーのような、刺激の強いマンガとの付き合い方が必要か…すごいマンガを読んだ③。

もやもやがまだ晴れません。

今日ももやもやしていて考えたこと。最終的に思いついたのは『マンガリテラシー』のようなそんな言葉。

読んだマンガの内容が、無敵の人、犯罪、自暴自棄、共依存、色々な成分があって、とくに犯罪の部分は、久しぶりに街中を歩いてみると、そんなことがそこいらで起きているのかもしれないな…と思うと、そうかもしれないのと、自分がそこに堕ちていくのじゃないか、と怖くなった。

もしも、本当にそうなったら、マンガは有害図書であるという実例の一人になってしまうから、そうならないように、精神防御の意味も含めて、記事にしている。

思い浮かんだのは…。

刺激の強いマンガとの付き合い方

が必要か…ということだった。例えば、情報リテラシー。そんな言葉はあるが、例えば、2ちゃんねる転載ブログとか刺激的でホットな情報が飛び交うのは人間形成に大きな影響を与えていると思う。もう一昨年くらいかもしれないけど、滋賀県まで教育長をハンマーでどつきに来た人も、2ちゃんねるとかとは関係ないかもしれないが、ネットで読んだことで怒りを燃やしてやってきたらしい。

ちょっと話がずれたけど、私が読んだマンガが刺激的で、恐ろしいのは、フィクションでありながら、実際に起こりえそうなことが手順を踏んで丁寧に描かれている部分だった。創作の部分もあるけど、ネットの描写の具体性などが、怖さをかき立てて突き刺さる。

私は年齢的には大人で、自分よりも若い人が読んだときにどんなふうに思えるかは人それぞれだけど、刺さる人には確かに刺さる、恐ろしいものがあるように思える。

そんな風に考えたときに、私は、マンガの読み方を誰かから習ったことはない。そして、その内容が過激であるならなお。東京都のおもしろ条令とか、今でもアホだと思うけど、ただ、自分の心境を考えてみると、フィクションをフィクションとして楽しむ姿勢ってのは、何かしら学ぶ必要があるのじゃないか、と思えた。

そういうのがないからこそ、マンガに限らず没入感というものが生まれるのかもしれないが、ごく稀に、どうしようもないくらいに自身と相性が良い、もしくは、相性が悪い作品に出会ったときに、どうしようもなくなるのじゃないか…と思う。

表現規制等々の話題にも関係するが、マンガ等々の創作物が読んだ人に良い影響も悪い影響も与える部分は否定できないから、フィクションに対する付き合い方って必要なのじゃないか…と思えた。精神論かもしれない。


そのような考えで行き着いたのが『マンガリテラシー』という言葉だった。検索してみると、既にネット上にあるみたいだが。しかしながら、義務教育の中でマンガとの付き合い方を教えるわけにもいかないだろうし、義務教育を外れてからのほうが刺激的なものにふれる機会は多いわけで…倫理観とうとうも含めて、個人の裁量に任されている部分が多いが…そのわりには刺激的なものが多い。規制をするのじゃあなくて、毒に転ずる可能性があるものと触れ合う方法を考えたい。

この記事で3つめ。もしも、4つめの記事を書くことになったら、あのマンガは、本当にすごいのだと思う。私との相性の良さ(悪さ)かもしれないけど。