大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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ブロガーが死んで、未来人が僕たちのブログを読むと期待しております。

なんか、会社名+退職しましたエントリーが話題になることをDisっていた空気があったみたいです。私が読んだツイートは、フリーのエンジニアの方だったので、そら退職はしませんわなーと。現状無職の私も退職はしませんが…。

その流れの中で、以下のような一文に出会いました。引用です。

じゃあブログに書き残すべきものは何なのか。仮に僕が日記として使ったとして、それは全世界に公開すべきものなのか。そこのところを考えてしまうと、本当の日記ではない場合のほうが多いですね。公に内心を吐露するというのは往々にして不適切なものですから。

ブログは「個人の」日記という違和感からブログとは何かを考える - novtanの日常

読んで思ったのは「ブロガーが死んで、未来人が僕たちのブログを読むと期待しております。」という記事タイトル。記事の中には「エントリが閉じている」という下りがありましたが、現在の時間軸において考えるのも、「閉じている」かな…と思いました。

オープン2ちゃんねるなんかを除いていると、Vipのスレで「質問ある?」スレが立つ度に「普通人のお前に質問なんてねぇ!」みたいな感じで荒れていたのですが、有名人、一般人、色々ありますが、書くという意味では等しく、未来においては「すでに死んだ人」というくくりで平均化されるのじゃないかな?とか(そうなるとウィキペディアに項目があるとか重要になりそう)。


現在においては、日記でも、未来においては別の価値が出るのじゃないか?それは、ヤルキメデス超外伝で以下のように書いておりました。

アフィリエイト的に言えば、価値あるコンテンツはアクセスされ、そして、そこから収益が発生するでしょう。ちょっとコミックを例に出しましたが、日記であれ、夕焼けや風景の写真であれ、食べたラーメンの写真であれ、30年先に残しておけば、価値が生まれると思うのです。
ブロガーの死亡後にブログがどうなるのか?ブログ「継承・存続」或はインターネット墓地のような事業をやりたい(後編)。

ただ、同時に考えたのは、「なう」を追いかけるのじゃあなくて、過去も振り返らないといけないのじゃないか?ということでした。

引用部に書いた今後の30年。有名ブロガーもどんどん死んで。ITで一世風靡した人々も、どんどんと死んで。死んだ人が生前に書いたことがどのように評価されるかは分からないですが…ただ、死んだから消えてしまうには、惜しいモノをブロガーは書き続けていると思います。


…私のブログが未来においても、収入を生み出し続け、子や孫の小遣い、生活費になっていけばなー…ただし私は未婚の独身ですが。また、お会いしましょう。