まだ、家族旅行とかしていた頃。道後温泉に行った時、幼い僕は(可愛かったらしい)、ある人の背中を観て、「なんで、あのおっちゃんの背中は絵が書いてあるのん?」と聞いたら、父親は肝を冷やし、兄はそっと距離をとったらしい。
年内に以下のような記事を読んでました。
- いまだにタトゥー・入れ墨を否定する人は「アホ」だと思う(^o^) - 大彗星ショッカーのヒマつぶし2
- ブコメ[はてな][生活・人生][社会]タトゥーはカタギの世界からの決別を意味すると思うが、もしも、銭湯に入りたい!プールに入りたい!タトゥーを入れたい!という人と、支持する人が多数なら世に問うて、ルールを変えていけばいいと思う。タトゥーのカッコよさには、浮世から離れるような意味もあるのじゃないか?と思っていたが。
以前、FB内で似た議論がタイムラインに流れてきたので、シェアしてコメントしたことがあるのですが、その時に考えたこととブコメの内容を掘り下げてみます。
カタギの世界からの決別。
大阪市が入れ墨のことでニュースになっていた時に、彫師の人が語られていたのを聞いた人から話を聞いたのですが(伝聞の伝聞)、そもそも体に彫り込んで刺青を入れるというのは、一般社会からの決別、アウトローに生きる覚悟のようなモノだと語られていたそうです。大阪市の事例を含めて考えると…。
- 就職が厳しくなる(公務員)。
- 銭湯にいけなくなる。
- プールにいけなくなる。
- アウトローだと思われる。
- その他。
という感じでしょうか?これらの制限や、世の中から見られ方が変わったしまうあたりに、入れ墨のカッコ良さが含まれているなら、入れる前に考えておかないといけないよね…と思います。
あと、儒教的なアレコレを見聞きしましたが、詳しくないので、詳しい人が言及されているでしょう。
しかし、これらの意識が現代のそれから乖離してきているのであれば…。
入れ墨、タトゥーの銭湯入浴とプール入場を啓蒙。
が必要かな、と。ブコメに書いた「銭湯に入りたい!プールに入りたい!タトゥーを入れたい!という人と、支持する人が多数なら世に問うて、ルールを変えていけばいいと思う。」の部分です。
実際にアクションをしていくなら、個別の銭湯に働きかけるとか、銭湯組合(あるのかな?)に働きかけるとか、市会議員とか国会議員とかに請願書を送るとか、署名活動をするとか、デモを行うとか…。既に行われているかも知れませんが、世の中にアピールしていくのが一番だな、と。
そうする中で、冒頭のエントリに書かれている意識の違いなどをすり合わせて行くのがベストじゃないのか?と思えます。ただ、禁止されていることを開放することに関わるリスク。怖い人には、どうあっても怖い。反社会力的なイメージも払拭していかなければいけないのでしょうが。
ただ、「プールに行きたいならタトゥーなんて入れるなよ!」と切り捨てるよりは、世の中に出にくい少数意見を拾い上げるというのは、大切なように思えます。入れ墨人口が増えれば世の中の認識は変わりそうですが、そうなるとアウトローのカッコ良さもなくなるかも知れませんが…。