最寄り駅から帰宅する時、同じく帰宅する人が多いから、駅舎から出て、わっと散っていく。私から見て、右手に歩いていく人、左手に歩いていく人。左方は関係ない。
右方に歩いていく人は、そこからさらに、直進、右折と分かれて、右折は、地下道に向かう人と直進する人に分かれる。まあ、結構な枝分かれがあるのだけど、分岐が起こり得る地帯で「その速度で他人の横を通り抜けたら、ぶつかるだろ!」って人が結構いる。
それに私は気づくから、速度調整をするわけだけど、私が速度調整をしなかったらどうなるのか?そして、私が速度調整をするのが前提で歩いている奴がいるとしたら、癪だから「避ける」という行為をやめてみようと思った。
そうすると、自然と相手が避けるはずだから、ぶつかりはしないのかもしれない。そう思って歩いてみると、めちゃくちゃ危険だった。他人が避けるのが前提で歩いている奴は、避けないわ。流石に危険を感じて速度調整してしまう。
それは、徹底的に相手を避けさせるという意志で歩いているのか、感覚が愚鈍だから、周囲の気配とか、他者の機微とかを感じることができないのか?両方あるような気がするけど、「相手が避けるまで避けない」というのは、スリルがありすぎた。なにしろ、相手は避けないのだから。
そんなスリル体験をしている時に、世の中にいるという体当たりおじさんは、狙って体当たりをしている奴もいるかもしれないけど、「避けるのをやめた」おじさんとかじゃないか?と思った。
避けない人間が遭遇すれば、ぶつかるわけだから、結果として、体当たりになっているのかもしれない。「なぜ、自分だけ避けないといけないのか?」という風に思った奴が、体当たりの魔物に化しているのかもしれない。そんな風に考えた。
で、今日、誰かにぶつかってたら、私が体当たりおじさんになったのかもしれない。もう、やめといた方がいいのかもしれないけど、誰かが私よりも先に避けるまで、「避けない」をやってみようか。
というかさー、ちゃんと他人の機微と、周囲の気配を感じて歩いたら、無駄に他人に回避行動をしなくてすむのだから、安全な速度で歩けや…と、それだけなんだけど。
一番の解決策は、改札口に人が減ってから行くってことなんだけどな。しんどいわー。