大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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家庭内暴力は連鎖するにゃー。

兄には、不幸になっていただきたい。

もう子供の頃のことだから、正確な記憶ってのもあやふやだし、当時、兄がどういう気持ちだったかわからない。ただ、暴力とか、言葉による攻撃とか、あるいはGoogleアドセンスの規約上書けないようなことをされた記憶はある。それが、私の人生の最初のつまづきだったように思えるし、時を経て、憎しみがムクムクと膨らんでいるのは、やはり、攻撃をした側が謝罪することもなく、NPO法人とかやって、調子こいて生きているからだろうか。死ねばいいのにな。絶望して、自殺するのが一番。

ところで、兄は父親に暴力を受けていた。私が覚えているのは、何度かブログに書いたけど、金属製のセロテープ台でしばかれていたという状況だった。下手したら死ぬのじゃないだろうか。兄に暴力をしていた父親は、当時の生活の困窮などがあったのかもしれない。ただし、長男に暴力をしてもお金がもらえるってことは、昭和の時代もなかった。

私は、「弟(下の名前)は、お父さんから殴られてないもんね♪」みたいなことを言われたけど、それが幸せのように思っていたが、今振り返ると異常な感覚だ。確かに、父親からは殴られてないけど、兄からはひどいことされた。お風呂での水責め拷問とかな。溺死しないように、顔を湯船におしつけるやつ。そんなことをやっていた兄が、NPO法人で障害者を相手にして金を稼いでいる。

こういう事実を公に訴えたら、兄を廃業に追い込むことができるだろうか?と思いつつ、それやっても、批判されるのは私だろうし、「何を昔のことを」と言われるだろう。きっと、家族もそう言う。しかし、暴力の連鎖があったにしろ、一番の暴力の下請けが損する構造ってのは、テレビで見るまんまなんだろうな、と。

私は、父親も兄も憎んでいるけど、基本的に暴力による報復を考えないのは、それをやっても私の人生が好転することがないことが分かっているのと、幼少期の記憶で、二人に絶対に勝てないという意識が染み付いている。暴力には才能がある。自分の苦しい思いを、圧倒的な弱者に暴力できるってのは、頭のネジがぶっ飛んでないとできない。具体的には20歳年下の息子、5歳年下の弟だ。多分、武器を用意したり、計画的に行えば一方的に暴力で制圧することもできるのだろうけど、今、心に渦巻く憎悪を直接的に暴力に転化できないあたりが、私は、暴力の才能がないと言える。

だから、例えばインターネットを駆使して、どのように精神的に追い詰めることができるのか?とか、そういうようなことばかりを考えてしまう。ただし、例えば、兄のNPOなどを晒したとしても、世の中的に批判されるのは、私であろう。

暴力は連鎖する。

兄が養子を迎えるなんてことが話題になっている。私は、自分がされたことを理由に反対したいのだけど、反対する機会はなさそうだ。兄自身に「お前は、昔こんなことを俺にしてたけど、他人の子供を引き取ったら同じことするのじゃないか?」と手紙の一通でも送りつけたいけど、まあ、一蹴されるかもしれないし、暴力の才能のある兄は、私を殺しに来るかもしれない。だとしたら、私は手紙を送る前に100円ショップに行き、包丁と棒状のモノを買わないといけないだろう。最低限の武装。暴力沙汰になっても、相手を圧倒できる自信がなければ、手紙は書けないだろう。ロードマップ。手紙。包丁。棒。

もちろん、手紙の内容が一蹴されて、養子の段取りは進むかもしれない。だとしたら、私がやられたことを、兄以外の家族、妻などに公言することになるかもしれない。正直、それすらも総スカンをくらうかもしれない。暴力の下請けの最も悲惨な状況。昔のことで家庭内が乱れるなら、お前がガマンしろと、そういう話になる。まあ、なるだろうな。そうなった時に、私は子供の頃から育て続けた憎しみがからっぽになるし、結局、私のことを救える人間は誰もいなかったということになる。とても理不尽だろう。5歳年上の兄の暴力。25歳以上年上の父親の暴力というのは、時間の経過が無罪とした上で、私は、ヤツラを憎しみ続けている。報復しても、私の損失の方が大きい。

暴力は連鎖する。仮に、兄のところに養子が来たとして、全く血も繋がっていない。遺伝子的には完全に他人の、ただ引き取られた先の家庭内に憎しみを持ち続けているヤツがいるってだけで、私の憎しみが暴力として、養子に向かう可能性だってあるかもしれない。私は、自分の体験もあるかもしれないけど、自分の状況を選択できない若齢者であるとか、子供とかを、苦しめることは、世の中で一番やってはいけないことだと思う。ちょっと前に、父親が騒音トラブルを起こした時に、隣家の中学生の勉強を阻害した事実を、その子の親から訴えられても、相手のことを批判して、結局謝罪しなかった様子を見ていて、本当に人間のクズだと思っている。

私は、父親と兄を殺したい。いや、正確には、二人が殺し合いをするとか、それぞれが自殺するとかで死んでほしい。自分が手を汚さないで死んでくれるのが一番なくらいに憎んでいるのだけど、この憎しみとは全く関係ないところに生まれた子供。養子になるくらいだから、私よりも不幸なことを抱えているであろう、子供を私の憎しみに巻き込んではいけないとだけは思っている。

だがしかし、同時に養子が来ることで、兄が私に行った、暴力、口撃、いやがらせ、いたずらなどが全てチャラになることは、とても狂おしい。なんとかして、効率的に嫌がらせをして、精神的に苦しめる方法を、この一週間くらい考えている。

あいつらなんて、不幸に死んで、私が幸せになれればいいんだけどな。本当は、父親とか、兄のことを全部忘れて、幸せになりたい。いっそ、私が死んでしまうのが手っ取り早いような気がするけど、私は救われることはあるんだろうか。もう、兄と父親は救われているはずだから、もっともっと不幸になってほしい。

まあ、私が養子に反対することはできずに、きっと、養子は来るだろう。合わないのが一番だな。「お前のことが嫌いだから、お前の養子になんて会いたくないし、あったら暴力するかもしれない」ってことは、最低でも伝えるだろうな。養子来る前に、兄が死ねばいいのにな。まあ、父親からの暴力を乗り越えて強くなったらしいから、そもそも、精神的に追い込まれることもないだろうし、精神的にタフネスだから、障害者相手の仕事もやってけんだろう。ちなみに、NPO法人に、私の両親も何らかの形で加わっているけど、父親の増長を進めた責任もとって欲しいけど、まあ、そんなんは兄は知らんだろうな。

騒音トラブルの時に、私が「お前も父親に注意しろ」とけしかけたから、壮大なケンカになったらしい。そん時に殺し合いになってればよかったのにな。ケンカとは別に贈与される予定だった100万円は、ケンカしても貰ってったは、ドンびきだったなー。

私の心が救われることはあるんだろうか。世の中に報じられる家庭内暴力ってのは、世間体という名前で、色んなことがもみ消されて、暴力の最も下請けの人は苦しみ続けているんだろうな。そりゃ、親殺しも、家族殺しも起きるって。私も、死んでほしいと思っとるもん。