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【正当なる保守】デジタルネイティブに死の鉄槌を!serial experiments lainは家族の絆を取り戻す物語である!

※この記事は、保守的な人が書いたトンチンカンな感想という設定です。

デジタルネイティブに死の鉄槌を!

スマホという物がある。私は、高校生ぐらいの時にPHSが登場して、いわゆる携帯電話を手に入れたのは大学2回生の時であった。インターネットは、テレホーダイを使っていた。

今の若者は、ほとんど生まれた時から携帯ないし、スマホを持っているし、Twitterのアカウントなども、まるで空気を吸うかのように作っていると聞く。

コンビニの冷蔵庫に入って炎上した若者たちの事件も、すでに数年前だが、インターネット、Web、ワイヤードの概念も知らないままに、彼らは、生まれた時から、ネットに接続されている。

それらは、もう否定することはできない。しかし、彼らの価値観が、我々のそれとは大きく異なっていることは、確かである。例えば、インターネットというものは、様々なことを数値化する。例えば、Twitterのフォロワー数。

それらは、仕組みのことだけを考えるなら、ただ、フォローされている数であるが、インターネットにおいては、権威の数値化と言える。最近、話題のユーチューバーなるもので言えば、チャンネル登録者数なども同じかもしれない。

権威の数値化というのは、否定されるものではない。YouTubeやTwitterが登場する以前においても、例えば、肩書などで人は判断されていたし、それは今も変わらないであろう。

しかし、肩書とは、その人の人生の成果である。フォロワー数というのも、そうではあるが、実際にあったことのない人間が持っている数値により表現される権威に、若者が右往左往している様は、悪い表現かもしれないが、滑稽にも思える。

生まれながらにして、インターネットに繋がっている。ネットを介した情報に翻弄される様子は、名作アニメ「lain」を彷彿とさせる。

lainというアニメは、もう20年も前の作品であるが、デジタルネイティブが主流になりつつある現代を預言していた作品と言えるかもしれない。

serial experiments lainは家族の絆を取り戻す物語である!

lainを好きになりましょう。ここで、「serial experiments lain」知らない人のために軽く解説してみようと思う。ネタバレ注意である。

主人公は、岩倉玲音(いわくられいん)。内向的で、どちらかと言えば地味な女子中学生であるが、同じ学校に通う女子の死から、パソコン(作中ではナビと表現される)やインターネット(作中ではワイヤード)に興味を持ち、徐々にネット中毒に陥っていく。

作中には出てこない表現だが、ギーグとしての才能を開花させ、玲音は、どんどんとパソコンをパワーアップさせ、ネット上では、世界的なハッカー集団と関わったり、その存在感を増していく。

しかし、ネット上でどれだけ強力な存在になっても、玲音の現実(リアルワールド)は空虚なままである。それどころか、玲音を気遣ってくれていた友人とも距離があき、家庭も崩壊していく。

家庭の崩壊に関しては、両親のネグレクトとも言えるが、作品の表現を考えるだに、インターネット中毒になった玲音の妄想と現実が、ごっちゃになっているとも言える。

ネットの神であるとか、東方算法騎士団とか言っている間に、玲音はすべてのものを失った。気がつけば一人である。これは、ただただ、インターネットを盲信した末路とも言えるし、デジタルネイティブ世代への警告とも言えるのではないのだろうか。

最後に玲音を救うのは絆である。

詳しく書くとネタバレが過ぎるので、抽象的に書くが、インターネットの闇に消えゆく玲音を救ったのは「絆」である。それは、ネット越しの知らない人間ではなく、会って話す、血の通った友人、父親なのである。

特に、父親の存在が大きい。自分を見失った玲音は、自分の家族すらも「虚構」と捉えるほどに錯乱していたが、最後の最後に彼女を救ったのは家族の【絆】なのである。


最近は、杉田水脈であるとか、「保守」という言葉が形骸化、陳腐化、空洞化している感じがある。それらも、ワイヤードに思考が侵食されている結果かもしれない。しかし、lainを見れば、どれだけワイヤードが発達しても、最後に重要なのは、親と子の関係、絆というものが見えてくる。家長制度や、天皇を父親とする国体感の話をしたい訳じゃあない。ただ、人として大事なモノの一つとして【絆】が描かれている。

スマートフォンというデバイスを持ち、すべての人間がワイヤードに接続されていると言っても過言ではない現代。保守を名乗るウソ保守も、リベラルを名乗る人も、左右の思想などとは別に、「lain」を一度、視聴してほしい。

人と人の【絆】を、右派であっても、左派であっても、それらを否定することはできないだろう。元号が平成の間に、是非、見ておいてほしい。

DVDを買え!


この記事はネタです。

lain後半の展開で、脚本家の意図と監督の意図が違い、わりと父親が強調されたシーンがあるんですが、そこで感じたものを保守的な【絆】とか、【家族】とか、ノリの良い言葉にのせて、感想書いちゃったのが、この記事です。

かなり、無茶苦茶な感じのことを書いてますが、ネタだと気づかずに(つまり、ここまで読まずに)、変な炎上をして、バズりまくったら面白いなー。この記事でhatenaブログを引退するのでブクマください(引退詐欺)。