はてなで話題になっているエントリーを読んだせいで、感想の続きを書いてみようと思いました。ただ、一つ言えるのは、映画を楽しみたい人は、観にいく予定がある人は、他の人の感想を読んでフィルターを作らないで、観た方がいいのじゃないか?と思えます。
それは、全ての映画におけるかも知れませんが、『ネタバレ』が持っている特性のようなモノかも知れません。
記事後半から、本題に入るので、ダラダラと最近考えたことを書いてみます。本文を読む人は、読み飛ばし推奨です。映画を観に行く予定の人は、この辺りで踏みとどまって貰えれば幸いです。
<↓読み飛ばせる部分↓>
この間、飲み会に誘われて、そして、おごって貰った時に、私の話や、相手の話や、第三者の話を色々としていたなかで、私がノーフューチャーな部分がドン引きだったのじゃないかな?と思ったのですが、今後の人生の話とか、他の人の話題になった時に。
「親は何十年か先に、どうせ死ぬんやから。今、ある家族に関する拘りは期限付きなはず。そんなことに悩んでいてどうするの?」
みたいな内容を話したら、ドン引きされたような気がする。子は親を考え、親は子を考える。それが、上手く行っていればそれで良いけど、そういう部分に逃げられない苦しみがあるような…。
<↑読み飛ばせる部分↑>
続きを読むから、ネタバレになる内容に突入します。今回の記事は、ネタじゃあなくて、マジメに書こうと思います。
この記事を書こうと思ったのは、話題になっているエントリーの以下の部分を読んだからです。引用です。
姫が月へと帰るのは、自殺だと私は解釈している。
『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ
びっくりするくらいに逆の感想が出ていて、私は、同じシーンで感じたのは「生まれ変わり」でした。「死」を通過するという意味では、近いですが、月に帰るラストは、割と肯定的に考えてました。
以下から、ここに到った部分と感じたこと。
女性が…という見方はしなかった。
私が男で、また、結婚の価値観なども、作中でかぐや姫が出くわすような結婚に、そんなに重きをおいてません。「結婚するなら金持ち」というよりは「貧しくても好きな人」という風に考じてます。
だから、かぐや姫が結婚したくないから、したくないという部分は、むしろそうあるべきと思えて、そこで生まれる軋轢や苦しみがある部分は、現代社会でもそうなのかな?と。
自分の思うままに生きる。
最終的に感じたのは、↑の見出しのことでした。都市に住むか?農村に住むか?作中では、自然万歳のような気がしますが、解釈に普遍性を持たせるなら「農業に憧れて農家と結婚したけどしんどかった」みたいな話を想像すると、どっちがどう…という話じゃあないのかな?と思いました。ただ、私も(インターネットがあれば)田舎が良い方なので、ここでも、かぐや姫よりの見方をしてました。
後、親や社会からの圧力に従ったことが、結局、幸せになれないのだったら、ちゃんとお爺さんに話して、生きたいように生きるべきだったのかな?と。
それが絶対的に出来なかったか?と言えば、少なくとも本人の希望は違った訳で、取り返しのつかない部分に悲しさがあります。
気付きの物語。
もしくは、繰り返しの物語とも解釈できないかな…と。エンディングの後の世界は想像するしかないですが、残ったモノはあるのじゃないかな?と。そして、作中の設定を拾っていけば、可能性の中で、次は…というのは、あるのじゃないかな?と思えました。
それらの感想を単語で置換えてみると「生まれ変わり」であり、冒頭の記事の引用部分とは、真逆だったなーと。気付くという意味では、私は月に帰ることはないので、今できないことや、後に後悔しそうなことを見つめた方がいいのじゃないか?と思いました。
なので、どこか勇気付けられたような気もしましたし、作中の取り返しのつかない部分では、少し涙が出ました。後、アゴの長さに笑いました。
そんな風に感じました。劇場に観に行く予定の人が、この文章まで読んでないことを願って。次の週末に、もう1回くらい観ようかと思っています(できたら)。