大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

スポンサーリンク

サイコパスの才能。

兄と父親を憎んでいる。だがしかし、自分の中のアウトラインとして、私の母親、兄の妻、兄の家に未来に来るかもしれない養子の子というのは、私の憎しみに巻き込んで、苦しませてはいけないという風に考えている。精神的に追い込んだら、その三人は自殺するかもしれないし、とくに養子の子なんてのは、(親に恵まれなかった)不遇な人生の転機で、養父母の家にいったら、養父の弟の憎しみで、人生がめちゃくちゃにされるなんてのは、可哀想すぎるし、それをやったら人間じゃあなくなると思うのだ。

だがしかし、ここ数日、繰り返し書いているけど、父親は20歳以上年下の息子に暴力を奮った。恫喝や、衆人環視の場で辱めたこともあったらしい。ただ、「お子様ランチが食べたい」と言っただけで、馬鹿にされながら、追いかけ回されたらしい。私が、ものごころがつく前だ。

兄は、私に暴力をふるっていた。日常的な暴力じゃあなくて、一緒に風呂に入ったりすると、水責めをされたり、海水浴に行けば、ビーチサンダルにイタズラされたり、「お前はブサイクだ」と毎日のように行ったり、そういうのだ。エロ本を見せつけて、私の反応を伺うようなことをやられた気がする。そして、ブログには書けないこともされた。なんというか、ここ数日思い返すと、肉体的に抵抗する気力も、自信を持って生きていくことも、そして、尊厳も奪われていたのじゃないかと思った。「ああ、これで自分はまっとうな人生は歩めない」と思いながら、シャツを洗うって体験は、似たような体験は、みんなしてるんだろうか。

話が長くなったが、父親と兄がやったことというのは、どちらも私がアウトにしていることだ。私は、「自分の環境を選べない自分よりも若い人」を苦しめるってのが、人間として一番やったらいけないことだと思っている。こんな父親と兄がいるからこそ、そのように思うようになったのかもしれないが、よくよく考えれば、私がタブーにしていることこそ、あの二人はやってのけていた。こういうのが、サイコパスで、才能がいることなのじゃないか?と思えた。

では、私が禁忌にしていることを、実際にやるとしたら、どういうことか。例えば、放火とか、そういうことも含まれるかもしれないが、まず考えるなら、母親に、兄がやったことを包み隠さず言うことだろう。母親は、「夫の暴力を止められなかった」という負い目があるらしく、「私は兄にひどい目にあわされていた」というと、「私が悪い」と言うことが多い。確かに、そうなのかもしれないけど、家庭内暴力の最も下請けとしては、「それはしらん」ということに尽きる。では、私がブログに書けないでいることを話したら、どうなるだろうか?私は、精神的に追い込まれて、最悪には自殺するんじゃないか?と思っている。私が、サイコパスならば、母親の自殺は、兄の行いが原因になり、大いに兄を苦しめることができるのじゃないか?と思う。

兄の妻はどうか。兄の妻は精神的に弱いところがある。うつ病と言うのだろうか。私の父親は、自分の嫁のそういうことを、しばらく知らなかったようで、完全に狂っていると思った。なぜ、弟の私が知っていて、父親が知らんのか?まあ、それは良いとして、「あなたの夫は、子供の頃に、私にこんなことしてたんですよ。どんな気持ちですか?」とか言えば、どうなるんだろうか。うつ病の人を、精神的に追い込んだらどうなるか、私はわからない。

話はそれるけど、兄は「父親の暴力を乗り越え、弟をいじめていたが(あまり公になってない)、うつ病の妻を支えながら、NPO法人をやって、障害者のケアをしている」という社会的評価を得ているはずだけど、というか、弟をいじめていたとかは、知らない人の方が多いだろうけど、私だけ全く救われてないってのは、どういうことなんだろうか。兄は、「父親の暴力のおかげで強くなった」と得意げに言ってたけど、弟に嫌がらせをしたのと、小学生の間に魂を穢したってのは、お前の中で乗り越えるべきことでもなかったのか?弟を虐待して、障害者のケアしてるって、どんな心境やねん、と身体の不自由を完全に奪って、発狂するまで問い詰めたい。

話がそれたが、うつ病の妻を精神的に追い込めば、兄は、きっと苦しむだろう。苦しむかどうかは、知らんけど。

そして、まだ見ぬ養子の子である。良い親戚のふりをして、「大丈夫?君のお父さんは、私に○○なことをしていたんだけど、同じことされてない?」と聞き続けたり、年齢差的に流石に勝てるだろうから、見えないところで、虐待の限りを尽くせばいいのかもしれない。ただ、圧倒的に私が悪者になるので、兄(サイコパス)にダメージはないのかもしれない。


子供の頃に、シャツを洗いながら。あるいは、その翌日か、近い日に、「兄が幸せの絶頂に至った時に、不幸のどん底に叩き落とそう」と思っていたけど、結婚したけど、妻がうつ病だったり、NPOで障害者ケアしてたり、「思ったほど幸せになってないし、社会のために頑張っている人間を不幸にするのは間違っているのじゃないか?」と思いなおして、しばらく、様々な感情を封印していたのだけど、感情の封印なんてできなかったようだ。もしも、本当に養子が来るならば、その時こそが、幸せの絶頂なんじゃないだろうか。

ということを考えてみたのだけど、やはり、殺したいヤツ以外を殺しにかかるってのは間違っている。また、本当に私の将来に絶望するなら、兄と父親を病でぶっ殺して、自分も死ねばいい。だが、そうじゃない。憎しみを発散させることが、絶対的な目的じゃあなくて、自分の中で達成すべき条件を設けて、そして、その目的・目標を達成することが、本来目指すべきことなんじゃないだろうか。

自分が犯罪に手を染めれば、ありとあらゆる方法で兄を苦しめることができる。だけど、それをすれば私の人生が終わる。パチスロしたい。相手を苦しめることも目的の一つだけど、相手は精神的にタフネスだろうから、精神的に追い詰めることは至難の技かもしれない。だとしたら、目標をしっかりと見据えて、準備をしなければいけない。兄と父親がやってたことは、消せない事実であり、それに対して、犯罪じゃあない方法で挑まないといけない。


私には、圧倒的弱者を、自分勝手にいたぶるようなサイコパスの才能はない。だけど、自分の人生が好転することと、可能な限り、兄に最大の苦しみを与える方法を考えないといけない。一番ベストなのは、私の知らないことが原因で、勝手に絶望して、父親をぶっ殺して、自分も自殺してくれるのがベストだけど、そんな小説のようなことは起きないだろう。もしも、願いが一つ叶うなら。まあ、お金持ちにしてもらいますわな。私を。