大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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サードブロガーという言葉を聞いた時に自動車の事故と(できたら)私を思い出してみて下さい。

追記。

ブコメにより指摘がありました。

横横道路も横浜新道も第三京浜もどれも全て「首都高」ではない上に、連絡道だからそのどれでもないからタイトルが間違ってますよ。

はてなブックマーク - サードブロガーという言葉を聞いた時に首都高速の事故と(できたら)私を思い出してみて下さい。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

タイトルが間違っておりました。以下は変更前のタイトルです。修正しました。

  • サードブロガーという言葉を聞いた時に首都高速の事故と(できたら)私を思い出してみて下さい。

以下は、以前に書いていた本文です。首都高速という表記は全て間違っております。


未だに『サードブロガー』なんて言葉を思い出すのが、時々、ほぼ毎日ですが、その時に思うのは、サードブロガー誕生に私(yarukimedesu、ナカノ実験室)も噛んでいたことを忘れている、もしくはそもそも知らない人が多いだろうな…ということでした。

先ほど、以下の記事を読んだので、ちょっと記事に書いてみます。

まぁ、これが全てですが、サードブロガー誕生と、その前夜を、私の印象において振り返ってみます。

詳しい日時は忘れましたが、雨風のひどい日に、はてなで有名なIDの人が、首都高速で事故ったことをブログで報告して大そう盛り上がってました。それらを読んで、私は「こらあかん。この人達には頑張っても勝てねぇ!」と思ったので、以下の記事を書きました。

江戸で、東京で事故が起きたら京都で勝手に白旗を揚げたブロガーがいた。妙にシュールというか、面白いな…と思ったのですが、この記事へ言及も含んだ記事として、以下の記事が書かれました。

そして、サードブロガーの誕生である。おそらく、今後、サードブロガーが語られる時にスタートとして、inujin氏の記事が振り返られると思うのですが、その背景には敗北宣言をした私と、その背景には首都高速の事故があったのです。この辺りを連続的に認識している人は、結構、少ないのでは?と思えます。

その後は「サードブロガー」は一人歩きしていったと思います。当初からサードブロガー=第三勢力、新進気鋭のブロガー、はてなブログ歴1年以内でトップエントリとかで見かけるブログ…とか定義付けされて、速攻で定義の外に押し出された感じがします。

その後は、身内ブクマとか、グループ機能でトップエントリに登場する最近の若いブロガーみたいな認識になった気がしますし、サードブロガー群=スパムの温床みたいなイメージも生まれたような気がします。トマト事変とかありましたっけ。

その後は、正義の味方、スパムブクマパトロール隊やブクマ信者透かしシステムなんかが登場して、多くの何かを失い、そして、サードブロガーという言葉も聞かなくなったように思えます。


ただ、あえてinujin氏の記事を読み返さないですが、それらを経て、『サードブロガー』というのは、ギラギラした、はてな的注目を目的としない人、ブログを書く事に何かを求める人、そんなのじゃないかな?と思えてきました。最近は、長い目の記事を書いても、はてな的リアクションがつかなくなってきたので、ちょっと、その境地に近くなってきたようにも思えます。

あと、同時に感じていたのは、仮に新進気鋭のブログを「サードブロガー」と捉えた時に、ブログ記事内にGoogleアドセンスコードを入れたり、スマホファーストビューへのレンダグル表示がおそらく行われていたりするのを見ると、気鋭で影響力はあっても、素人のところは素人なんじゃないかな?とも思えました。はてなブログは、広告レイアウトの自由度が増せば良いと思いますが…。


そんなこんなで。今後、サードブロガーが語られることがあったら、その時は、首都高速の事故と、それを読んだ私の敗北宣言も、誕生前夜としてあったことを、誰かに知っておいて欲しくてこんな記事を書きました。

もしも、あの日、私の精神が不調じゃあなくて、インターネッツの緒先輩方の面白い記事を読んで、ぐぁー!となって、勢いよく記事を書かなかったとしたら、サードブロガーという言葉は生まれなかったのかな?と思うと不思議です。たらればの世界。私が、書かなくても誰かが発狂して書いていたのかも知れませんが…。

さて。結局、私はサードブロガーなのだろうか。今違ったとしても、その境地に到ったことはあるのだろうか?分からんですが。今は、少しは「はてな」から距離をとれるようになったようにも思えます。

ブログに書く数倍、はてなブックマークコメントにスターが付く日々。また、お会いしましょう。