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面白くないを発信する人が面白くない問題。

ちょっと間が開きましたが、以下の記事の続きです。


マンガ、ジャンプの感想を長年続けていて、中間的結論として「マンガは全部愛する」に到りました。食べ物の好き嫌いは平均的にタブーなのに、マンガに関しては、ネット上で「嫌い」と「面白くない」が発信されまくるのは、なんだかなーと思っております。

勿論、面白い、面白くない、というのが軽い感じで飛び交う辺りがマンガというカルチャーのグッドな部分でもあると思うので、高尚な話をしまくるのもどうかと思うのですが、「嫌い」と「面白くない」を発信すると、傷付く人もいることは、経験して分かったことです。

それらの意見を無視することがブログ、インターネットにおける「マッチョ」であるならば、私はマッチョになれなくていいな…と思います。

以下の記事の中で食戟のソーマ51話に触れているので、コミックス派の方は、ネタバレになるのでご注意下さい。

前置きが長くなりました。

面白くないを発信する人が面白くない問題。

私もマンガを読んでいて「面白くない」、「つまらない」と全く思わないことはないのですが、私が読むに至るまで、色んな人が関わって、膨大な作業を経ている辺りには、敬意を払いたい部分です。

差て。以前から考えていたのは…。

面白くないは50%は読み手の責任。

ということです。同じ作品を読んだ時に、人によって感想は分かれると思いますが、では自分とは違う感想を述べている人が悪いのか?書いた人の責任か?という辺りを突き詰めていくと、読書とは作者と読者の関係性…と考えるなら、まぁ、合う合わないという相性を含めて、半分は読者本人の資質の関係よね?と思えた訳です。

つまり、「この作品は自分には面白くないけど面白いと思う人がいるから世の中に出ているのだろう」というスタンスです。そのあたりをカジュアルに「クソ漫画」とかで表現すると自身の内面は省みない感じがして、なんだかなーと思います。

面白いのレセプター問題。

以下は、食戟のソーマの感想で書いていた部分です。

臭いごときで珍味を食べない人は、十傑にはなれないようにも思えます。
食戟のソーマ51「魔女の食卓」ネタバレ注意!くさや臭い!?漆黒のラクサカレーの限界!エリナ秘書名前は…ジャンプ感想02号2014年6

十傑とは、遠月学園というすごい料理の専門学校の中の10人の凄い料理人を指します。匂いが苦手で食べれない料理があったら、すごい10人にはなれないだろうな…と思った訳です。

これは、ブログでマンガ論を語ったりするマンガ読者にもいえるのじゃないかな?と。先述した50%問題を考えると、色んな作品に対して「面白い」と思える感覚、多くのレセプターを持っている人ほど面白い人と言えるのじゃないかな?と。

まぁ、基本的に人間は全員が面白いということも言えるかも知れないですが、あえて言うとレセプターが少ない人は面白くない人であろうと。それは、食べ物の好き嫌いが少ない人、ない人の方が一般的に「偉い」とされていることに近いかも知れません。

まぁ、嫌いな作品を言及しまくることで見えてくるモノもあるので、面白い、面白くないで二元的に考えるのも難しい問題なのですが…。

おわります。

一連で書いていた記事も、これにて終了かな…と。私の中のモヤモヤは晴れた気がします。必要なのは「敬意」かな、とも思ったのですが、そういうのに欠いているからこそ、ブログ記事というのは炎上し、注目を集めるのかも?と思えます。

負の拡散が毎日のように起きるはてなのインターネッツですが、正の拡散を起こせたらな…と日々、思ってます。