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スケット・ダンスの作者性、テーマ性を嫌う理由が分からない(こともないこともない)。

以下の記事の続きです。

演劇をやっている中で、話題になったことがあるのですが「作品を嫌っても作っている人までは嫌ってはいけない」なんて言葉がありました。それって、マンガ作品を楽しむ時でも一緒じゃないかな、と思いました。

インターネットにスケット・ダンスの感想を読んでいると、その作者性、つまり作者が考えたことが作品内に反映されるテーマ性を嫌っている感想をよく見かけます。

勿論、すべてにおいて好き・嫌いを論じるのは、自由だと思います。食べ物の好き・嫌いは平均的に悪いことなのに、マンガや小説、芸能だと『批評』とか、それっぽい言葉がつくのが、ちょっと嫌ですが…。

あ、ちなみに、過去とか、マンガ以外のことでは、私はブーメランを投げまくっていると思います。

理由が分からない。

ただ、スケット・ダンスにおいては、私が作品を肯定的に読んでいたのもありますが…。正統な手順で、そのメッセージを発信している訳で、嫌いになる理由もないのじゃないかな?と。ざっと考えてみると。

  1. 作者が考えていることを。
  2. 自分の作品を通じて。
  3. 登場人物に語らせる。
  4. そして、それは第三者(担当編集)のチェックが入っている。

つまり、商業誌に勝手に載っている訳ではなく、相談の上でGoサインが出ている訳で、そこに嫌う理由はないのじゃないかな?と思えます。

もっとも、読書とは本を通じての作者の対話だと考えれば、人間性の不一致から、書いた人のことが嫌いというのも、正しい感想の一つだと思うのですが、それ以上に溢れ出る憎しみのようなモノを感じる訳です。その延長線上には…と考えると、ちょっと違う気もしますが…。

作品内に作者の考えを反映させるのがダメという風潮。

風潮というには、小さなモノかも知れませんが、マンガ感想の中には、作者の主張を作品内に反映させること自体をNGとしている層があるように思えます。もちろん、それらの主張も自由の範囲内なのですが、私は、その部分に関しても肯定的です。

ワンピースの魚人街編に入って、社会問題を想起させるようなテーマが出て来た時に、インターネッツの界隈では批判的な意見が出ていたと聞きました。ジャンプで作者の考える真面目なテーマは聞きたくない…という感じでしょうか?

作者の気持ちが作品内に反映された…と言えば、ワンピースにおいては、以下のようなエピソードも有名です。

、『ONE PIECE』233話の縁が黒く塗られた扉絵(普段は白縁)は、同作品の単行本巻二十五において、しんがぎんへの追悼の意を込めたものであると明かしている。
しんがぎん - Wikipedia

この一件も、嫌いな人は嫌いなのかな?と。


話をスケット・ダンスに戻してみると、スイッチを巡るシリーズ、スイッチ・オフ、スイッチ・オンは「引きこもり」や「いじめ」など、色々な社会的な題材が含まれております。私はジャンプを残している関係で、スケット・ダンスは5巻しか持ってないのですが、そこに、喋れないでパソコンで話すキャラを考案した時に、その背景を真剣に考えない訳にはいかなかった…という話が書かれてました。

こういう制作側の考えを良しとするか否か…の問題だと思いますが、私は、マンガに限らず創作物は、作った人の意思が反映されて当然なのじゃないか?と思えます。そして、スイッチ・オンが公開された頃は、学校裏サイトや、ネット叩きなのが社会的に問題になっていた頃なので、メッセージ性も高かったように思えます。

マンガは娯楽作品であるとともに、小中学生、高校生に訴えかける場でもあるならば、前向きなメッセージ性を発信するのは、大切なことなのじゃないか…と思えますが…。

まぁ、勿論、それらを踏まえても、好き嫌いも自由で、発信するのも自由なのですが、そんなことを考えました。ちなみに最終回の直前のシリーズは、今思うと「喋れない」をキーにして選ばれた題材は、パズル的な面白さがありましたが、ちょっとイージーだったのではないか?と思えました(そして、嫌っている人は、そこが琴線に触れたのかも知れませんが)。

ただ、ジャンプという誌面上踏み込める領域も限られていたのではないか?とも思えますが。その前後して、銀魂で性別転換編があって、男とは?女とは?みたいな話があったと思いますが、その辺りのインターネッツでの評価も気になるところです。


インターネットにおいては、憎しみの方がタイピングが捗る気がします。この記事も、そうなのかも知れません。だから、意識して「好き」とか「面白い」を発信しようと思っているのですが、それじゃあ救われない何かもあるのかも知れない。

負の共有、ネガティブの連鎖に関しても考えてみたいと思い出しました。