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ルックバックの修正は「被害妄想+幻聴=統合失調症」ってのが怖いんだよ。

修正前は統合失調症の偏見を助長し、修正され助長しなくなったのか?

精神科医は、医者という意味で専門家だと思うのだけど、漫画を読む専門家ではないと思う。私は、ルックバックを読んで「統合失調症」という言葉は思い浮かばなかった。

なぜなら、作中にその言葉が出てきてなかったからだ。出ていてのは、被害妄想と幻聴という言葉が出ていた。それらと、犯人の言動などを読んだ上で、その辺に詳しい人が「統合失調症」という言葉を出して、特定の病気への差別を助長しかねないという話に発展してったわけだ。そして、ステレオタイプとか言っていた。

もう、それらの声を受けて、漫画の中の台詞は修正が加わったわけだけど、果たして、変更前は差別や偏見を助長していて、修正後は、助長しなくなったのだろうか?

確かに、被害妄想とか、幻聴というキーワードはなくなったけど、統合失調症のステレオタイプの犯人は、「誰でもよかった」と人を殺したりはしないんだろうか?そのあたりは、専門家の意見を待ちたいところだけど、私が思うのは、特定のキーワードを排除しても、精神的にやばそーだし、被害妄想と幻聴を抜いたら、統合失調症じゃない!というほど、精神の病気ってのは、容易に線引できないのではないか?と、素人の私は思う。

修正は加わったけど、漫画好きの精神科医と、自称当事者の人々が、差別や助長は消えてないぞ!と声が上がったら、作品内の京本の死因から変わってしまうのだろうか?

「被害妄想+幻聴=統合失調症」ってのが怖いんだよ。

私は、統合失調症という言葉が思い浮かばなかったわけだが、批判側の感想を読んでいると、だいたいが、上述の等式に従っていたと思う。そして、それをステレオタイプだと言う。

それがステレオタイプなのか?そして、そういう統合失調症の人はいないのか?あの犯人と、犯行理由ってのは、現実ではありえないのか?色々と考えることができるけど、現実ではありえないことが起きるのがマンガとも言えるのじゃないだろうか?

ただ、私は、とにかくマンガには書かれてない単語を引っ張り出してくるのが、怖かった。その単語が作品内に出てくるのは、制作サイドの配慮だったんじゃないだろうか?

そもそも私は、フィクションにおいて特定の精神疾患を連想される表現が行われることを否定しない。当事者ではないから、当事者が感じる辛さってのは、分からないわけだけど、偏見や差別を助長する!という声は否定しないけど、ネット上で行われたやりとりが、作品内の犯人をすっかりと「統合失調症」と決めつけてしまった感じがある。

ネット上の発信ではなくて、文書なりで他人を巻き込まない形で、編集部に意見を伝えた人とかもいたのだろうか?

統合失調症の当事者ではないが、生きづらさを感じることは多々あるし、作品内の表現が誰も傷つけないなんてことはないと思っている。

多分、私は被害妄想はある方だと思っている。医者に行くレベルじゃないけど、あると思っている。今はもうないけど、大学生の頃に一週間くらい寝る前に幻聴に悩まされたことがあった。おそらくストレスだと思うけど、その幻聴をヒントに脚本を書いたりした。それで医者に行かなかったから、私が統合失調症なるものかは分からないけど、被害妄想はあるし、幻聴も経験している。

ルックバックに描かれたことではないけど、少年少女が被害者となる性犯罪が起きた時に、自分の部屋にLOとかのマンガが転がっている私は、世間に対して申し訳なさのようなものを感じる。

少し前の話だけど、長年引きこもっていた子供部屋おじさんが、バス停で大人と子供を刺殺した事件が起きたときは、辛かった。街を歩いていても、自分が犯人側だと思われているのじゃないか?と思ったりもした。それが、被害妄想なのかもしれない。

実際のところ、そういう辛さを感じても、病院に行くほどではなくて、実際に、あの犯人が、統合失調症だ!と言われても、自分はその属性には属してないと思う。

私の感じた辛さが、日常生活に支障が出て、病院に行けば、病気ってことになるのかもしれない。ルックバックにしても、あの表現が耐えられないって人が、声を上げて、それらが耐えられないから、精神疾患の当事者なのかもしれない。

マンガの内容は、そもそもフィクションであるが、ルックバックの物語に悪役(この表現が正しいかは分からないけど)がいる以上、その悪役には属性や背景があり、それが現実の我々に一切干渉しないってのは無理だと思う。無理だから、「誰も傷つけない表現」を諦めろって訳ではないが、物語というのは、そもそも誰かを傷つける可能性のあるモノじゃないだろうか。ガジェットとして義手・義足が出てくれば、それを使っている人もいるし、キャラデザインとしての隻眼も誰かに刺さるだろう。

じゃあ、作品のジャンルを変えて、ルックバックの犯人が悪魔やモンスターだったり、自然現象だったら良かったのか?被害妄想、幻聴を「ステレオタイプ」と割り切ることも出てくるけど、「絵から聞こえた声」という部分を掘り下げた、素晴らしい感想もあった。作者の気持ちは分からないが、受け取った側を良い意味でも刺激する要素だったと思うのだけど、修正版で、それがざっくりなくなってしまったことは、私は、作品の良さが失われたと、何度もブコメとかで書いていた。

あの修正が作品の根幹には関わらない部分だと言う人もいる。しかし、他の人が書いた感想などを読めば読むほど、犯人と思しき人物が映画館にいたりして、犯人でさえ、物語のテーマに近いところにいた…と感想が深まる中、それらの要素がざっくりと切り取られたことが、とても惜しく思う。

特定の精神疾患を連想させるキーワードがなくなったことで、差別や偏見を助長しなくなったのか?私は、それすら答えが出ていないと思うけど、私が感じていた「良さ」というものが失われたことは、事実だと思うのだ。

批判側は勝利の証としてコミックス買えよな。

インターネットに公開された作品の宿命かもしれないけど、無料で読めるから、批判意見が出だした頃に、読んだ奴も多いのじゃないかと思うけど、批判側の急先鋒、それに乗っかった面々は、自分らの主張が通って、結果として、表現が修正されたわけだから、勝利の記念としてコミックス買えよと言いたい。

私は、もともと買う予定だったけど、ちょっと買う気が削がれたな。なぜなら、敗北の証だから。まあ、勝ち負けじゃなあいのかもしれないけど。買うのは、買うとして、あのシーンを読むたびに、今回の修正騒動を思い出すんだな…とは、思う。

無料で公開されたからこそ、多くの人が読んだわけだけど、批判して、勝利して、コミックス買わないヤツも、けっこういるんだろうなあ。そして、表現が差し替わったけど、あの表現が批判側が完全に納得できるものじゃないかもしれないし、まだまだ、続くかもしれない。

こんな記事を読んでました。

nuryouguda.hatenablog.com

私が常々、「文章の巨神兵」と称賛しているグダ氏の記事。私の怒りとは、方向性が違うのだけど、叩けば修正されるWebマンガよりも、京都アニメーションに関して、もっと悪がいるだろ!というような内容。

これまでの多くの言及記事が触れてないところに言及していて、読み応えありました。

動画にもしてました。

www.youtube.com

修正を知った当日に録音した音声を使っております。