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民主主義は数の暴力じゃあないし、人間の平等が全人類の目指すところである。

民主主義は数の暴力じゃあないし。

思えば、昨年の安保関連法案とか、集団的自衛権の時に考えたことだった。残念ながら私は、あの素晴らしい自民党の支持者ではないのだけど、支持者も、そして、政治家も「民主主義は多数決」と思い込んでいるのじゃないだろうか?

そう思っている人がいたとしても仕方がないはず。現状はどうであれ、人間全体の幸福を話し合いで解決して、決定方法の一つとして多数決がある。市長とか、国会議員を選ぶのも多数決だけど、それが全てじゃあない。

小学校の学級会の委員決めとか、10人ぐらいが結託して、嫌な役を誰かに押し付けるというハメ技のような選挙が行われたのは、全然、民主主義じゃあなかったんだろう。数の暴力。

多くの人が願っていること反映されるのが民主主義の全てではなく、根本には憲法があるから、違憲の内容は、そもそも選ばれないはず(だった)。

人間の平等が全人類の目指すところである。

このエントリは、とある増田記事を読んで発作的に書きだしたのだけど、異性愛者は、同性愛者よりも数で圧倒している。だからとて、異性愛者が住みにくくなる世の中になるか?と言えば、そうではなく、当然のことだと思うが、性愛が誰に向くか?ということで、差別されない社会が全人類の目指すところであると思う。

もちろん、憲法がそこまで詳しくは書いてないのだろうけど、世界的な動きや、過去に行われた差別なども鑑み、どんな人も等しく幸せに生きていくことが、民主主義、人間の目指すところじゃあないだろうか?

そういう意味では、数の暴力になりうる多数決という仕組みは全くもって不完全だと思うが、「多数決が正義」という認識をまず疑い、啓蒙していくことが、人類として、人としてすべきことなのかもしれない。

以下のエントリを読んで考えたことでした。

anond.hatelabo.jp

私は、皮膚感覚のように定着していた考えでしたが、そうじゃあない人もいたことは、考えるキッカケになってよかったです。増田記事なので、優秀な釣りかもしれませんが、今回は釣られてみました。キャッチアンドリリースお願いします。