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沖縄に米軍基地を「押し付けている」自覚のなさ。

以下の記事が、Hatenaで話題になっている。

<社説>米軍属女性死体遺棄 日米両政府に責任 防止策は基地撤去しかない - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース


内容が「ヘイトスピーチ」であるというブコメが多くみられ、そのブコメにスターが集まっている地獄インターネットを感じたが、それも込で、思うことを書いてみたい。

沖縄に米軍基地を「押し付けている」自覚のなさ。

記事によると74・46%の米軍基地が沖縄にあるそうだ。この数値の偏りを「押し付け」と表現されていることもあるが、本土、京都府に住む私は「押し付けている」という自覚がない。自覚、もしくは実感がない。私が住んでいる街には米軍基地がない。もしかしたら、沖縄以外で米軍基地のある街に住んでいる人は、沖縄からの声に実感込で共感できるのかもしれない。

感じることを素直に書いてみると、自分が生まれる前にできた社会の仕組みに関して、政治的決定力など持たない私は、「押し付けている」という事実に対して、どう向き合えばいいのだろうか?沖縄が対中国などの関係で重要な場所だと聞く。しかし、全都道府県民が平等であるならば、可能な限り日本全国に分散した方がいいのじゃないか?と思う。

そして、自分も米軍基地の傍に住んでみないことには、冒頭の記事に込められた「怒り」というのは実感できないのかもしれない。実感できないのであれば、表現内容を全肯定するのではなく、個別に考えないといけないかもしれないが、込められた怒りと、そこに至る経緯というのには、寄り添いたいと思う。

米軍関係者が起こす事件。

米軍基地があることで、軍関係者の犯罪が起きる。記事によると、以下のようにある。

1997年の69件をピークに減少し、95年以降は2013年を除き、毎年1~7件の発生である。

引用部の数値に関して、多い・少ないというのも実感を持って感じることはできない。さすがに69件は多いと思うが、7件以内の発生件数は、どう考えるのか?例えば、警察官や消防士も、一般人を巻き込んだ事件を起こす。米軍関係者の7件という数値は、他と比べて考えるなら、どう考えれば良いのだろうか?

ただ、元記事にある以下の部分を考える。

基地がなければ、容疑者は沖縄にいない可能性が高く、今回の事件も起きなかっただろう。

「そもそも論」と言うか、事実ではあると思う。このような部分もヘイトスピーチと揶揄されているのかもしれないが、感じることを箇条書きにすると。

  1. 米軍基地が明らかに沖縄に偏っている実情。
  2. 犯罪件数はピーク時よりも減っているが、犯罪がゼロにはなっていない。
  3. 日本人に対する犯罪なのに、犯罪者を日本で裁くことができない。

もっともっとたくさんあるのだと思う。明らかに住民に大きな影響を持っている米軍基地なのに、住民が関与できない部分が多すぎる。犯罪者を日本の法律で裁けないという無念は、基地ができてから現在までずっと、今現在も続いている。犯罪件数がゼロになった年がないのであれば、それは、毎年のように繰り返し思い出されるだろう。その累積された怒りというのは、沖縄に住んでいない私は、想像するしかできないし、きっと想像もできないものなのだろう。

ブコメでは、「ヘイトスピーチ」という言葉が濫用されている。犯罪を起こさない米軍関係者の方が多いのだから、過去の犯罪者も含めて、属性や所属で語るってのは、乱暴なのかもしれないが、日本の法律で裁けない人々が同じ街に住んでいるというのは、明らかに異質な存在である。

また、「差別」という表現も多くみられるが、「差別」というのは強者が弱者に強いるものじゃないだろうか?そう思い、ブコメを確認するが、あっち側の意見が多すぎて、疲れた。元記事の怒りに達する、長年の思いを、もっと想像した方がいいだろう。