【111112blogマラソン】…というキーワードで検索すると、数年前に私が、誕生日企画としてチャレンジした結果が出てきます。
今回の記事は、一応、誕生日企画なんですが、支離滅裂な感じでお送ります。
先ず、福島県への長旅中に書いていたメモの中から、特に、ネガティブな文章を抽出してサルベージ。
2012年福島長旅中のメモサルベージ⑤。
パチンコの観点
パチンコは考えないでも出来るけど、色々と観点もある。釘、台のスペック(ハイエナ)、ステージ数、1000円当りの回転数。
負け犬思考スパイラル
話せば話すほど、フラッシュバックし、そして、沈降する。黙するのが一番…な気がするが、それも、なんだか、寂しい。
- 資格試験というモノ自体に拒否反応を覚えたら、多分、向いてない。
- でんけん3種に挑むという挑戦。
- 時間に区切りがないニート生活。
- 電気工事士の試験を振り返る。
新薬開発、治験で身体がボロボロになる日本人。
本当は、日本人がするべきことじゃあなくて、どこか外国の人間にやらせておけってことか?まわりまわって、日本人死ね。バングラディッシュの雑草の会話(小説)。
メモはここまで。
ふと思い出した記事。
- 泣けなくなっている自分。
- 結構、大事なことがあった日。たしか、知り合いが死んだ日。
ブログ人類補完計画。
以下は、はてなで有名なphaさんのインタビュー記事からの引用です。
pha Twitterでその人の過去の発言をずっとポストし続けるbotがあったら、読者にとってはそれでいいと思うんですよ。僕が死んだら僕のTweetをランダムに発言しつづけるbotを動かしておきたいし。そうやってbotと人間、死者と生者が混在しているタイムラインになったら、その状況は面白いなと思いますね。
modern fart | 「何歳まで生きますか?」phaさんに聞く【前編】
案外、似たことを考えているかも知れない。おそらく、この記事を読む前に、ブログ人類補完計画は考えていたと思う。もしも、私が死んでも、その記事が読まれたら。そこから、収入が生まれたら。
例えば、もう更新しないブログ記事を1記事10円くらいで買い取る仕事を始めたら、売る人がいるだろうか?
ブログ人類補完計画を考えた時に書いていたメモ。
- 死ぬ直前ラジオの声を記録していたおじいさん。
- 遺品整理人。
- その日記も引き取り手がいなくなった。
- ブログでも、同じことが起きるはず。
- 死亡後のブログを引き受けるサービス。
近々書こうと思っているエントリタイトル。
- ブログ記事を書くのやめませんか?自分のブログを持たないという選択肢。
読んでいた増田記事。
- 「がんばれよ」って言ったら死んでしまった
- ブコメ・人は死ぬということを覚えておきたい。小説って言ってしまうと、ヤボなような気がする。人が勝手に死んでしまった時、どうしたらいいのだろうな。
- 死にたい人間を安らかに死なせる社会になればいい
- ブコメ・外国では、自殺幇助合法の国があったはず。俺は、落ちたモノを拾い食いしてでも、生きていきたいけどね。
- "ダメな大人"の授業がもっと増えても良いと思う
- ブコメ・川原で平日の昼間から、ビール飲みながらゲームボーイアドバンスをしていたおっさんを思い出した(俺じゃあなくて)。地方に行ったり、生活費のかからない生活をすればいいのじゃないだろうか。
メモ。
- 豊かさ。
- 便利さを維持しつつ、欲望を下方修正したら、実は、日本は豊かなのじゃないの?という気がする。
自殺するくらいな他人に迷惑をかけまくって死ぬまで生きる。
今日を誕生日にして、前向きなエントリーを書こうと思ったのだけど、元々、『はてなダイアリ』を始めた理由は、ネガティブを書くためだったから、この方がらしいだろう。さらに、書こうと思っていたことをコラージュして、カオスな感じに。
前にも書いたのだけど、インターネットで「死にたい」という人を見かけても、「死ぬな!」とも「生きるな!」とも言いにくい。逃げ場所の提示をしてみても、逃げることができない人は、死ぬだろう。
記事タイトルにしたのと、前述の見出しは数年前に友人から頂いた言葉。が咀嚼され、自分の言葉になった。犯罪行為や、反社会的な行為はダメだけど、世の中には「死んだ方がまし!」なんてことはないだろう。
インターネッツの乱暴な分野だと、「死ね!」が飛び交っている。私が、ブコメ等々で「死ね」、「氏ね」なんかを封印したのは、東北の方でブログが炎上して、その因果関係は不明だけど、書いていた人が死んだからだった。
ふと、思うと、私は生きた時間の中で、10分の1くらいの時間しか、雇用されてない…という事に気付いた。多分、私の方が死んだ方がいい…という人は沢山いるようにも思える。
なんで、こんなことを書いているのか。
もしかしたら、自分に向かったモノなのかも知れないけど、寒くて鬱っぽい気持ちなのか、「みっともなくても死ぬな!」ということを書きたくなった。別に知り合いで死にそうな人がいる訳じゃあない。
数年前に自分よりも年下に言える教訓的なことを考えてみたら、「俺のようにはなるな」ということを思い出した。大事な選択で流されてはいけない。流されるくらいなら止まってもいい。でも、それも辛かったら、流されてもいい。
何を書いているか分からなくなってきたので、もう終了。2013年11月12日、皮膚の日。誕生日おめでとう、俺。