電工ナイフを使う授業が彼の限界だった。
名前は名字しか覚えてないのだけど、職業訓練校に入って、はじめて話しかけてきて、一緒に最寄り駅まで歩いて帰った人だったかもしれない。当時、私は喫煙していたので、一緒にタバコも吸ったなあ。明るいけど、情緒不安定なところもあって、変だけど、明るい人という印象だった。授業で、電工ナイフを使うまで。
電気工事に関する訓練だったので、電気工事の実践の授業があった。ケーブルの被膜を剥くのにナイフを使う。基本的に真面目に授業を受けていた彼が豹変したのは、電工ナイフを使う授業のときだった。「ナイフは危険だ！」みたいなことを言い出して、怒りと恐怖が混じったような感じで、訓練校の教員に「お前ら公務員は！」みたいな罵詈雑言を浴びせだした。
クラスメイトたちは「なんとなく変なヤツ」と思っていたけど、「こりゃだめだわ」という感じになった。訓練校に通っているから、みんな20代後半とか30代の後半くらいまでいた。大人の集まりだけど、それこそ、中学校の中で起きた、「こいつと関わってはいけない」というような雰囲気が流れた。
電工ナイフで発狂した彼は、「心臓が」と繰り返し言いながら、訓練場（体育館のような施設）においてある救急箱から絆創膏を大量に取り出して、胸にベタベタと貼っていたらしい。翌日、彼は職業訓練校を去ることになった。
あれは、もう約10年前くらい前なのだけど、当時は「電工ナイフが無理なら、電気工事士は絶対無理だろ！」と思ったのだけど、今は「確実に、私よりも生きづらい人生なんだろうな」と思う。なぜ、彼のことを思い出したかと言えば、最近（ヘッドラインだけ）読んだニュース記事に心臓とかドラクエとか書いてあったからだ。本文は読んでない。
生きづらさを抱えて生きている人はいっぱいいるはずで、電工ナイフの彼は、今どうしているだろうか。そんなふうに思った。みんなが、極端なことを起こさずに、生きづらくても、なんとなくのんびり暮らしていけたら……そんなふうに思う。
なんて、ことを書こうと思ってたら、新潟で地震起きたよ。知り合い、新潟にいるよ。もうやだや。
