大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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小説・なんでも溶かして固めてくれる畑~ダン・シャーリーからの素敵な贈り物1。

スパゲティを茹でるとき、捨ててしまう茹で汁のことを考えてしまう。大学生の頃、年上だけどサークルで同期だった奴が、「お酒はお尻から飲むのが一番酔うよ!」とか、「ナチスはすごいんだよ!人間から石鹸を作るんだ!」とか言っていたことも思い出した。あまり勉強はしなかったけど、いちおう農学部を卒業した私は、最近は少なくなったが、環境問題などにも、思いを馳せる。

ただの貧乏性かもしれない。スパゲティの茹で汁は、コンソメスープにしたりしていたが、やがて、最初からスープスパゲティを作るようになった。茹で汁を100%捨てないという料理には、「うへぇ」という知人もいたが、少なくとも味には問題ない。そんな知人とも、ある時から会わなくなった。

料理に使うコンソメは、一つ一つ銀色の紙(?)で個包装されている。それらは捨てるしかないのだけど、銀色だから何か作品作りにでも使えないかと思って、貯めておいたりしたが、残っていたコンソメの粉が湿気を吸って、にちゃにちゃになってしまったから、まとめて捨ててしまった。

リサイクルが叫ばれている。例えば、ペットボトル。リサイクルの代表格のような存在だけど、実は、ペットボトルを回収して、洗浄して、溶かして、再びペットボトルを作る工程は、回収しないでペットボトルを作るよりも多くのエネルギーが使われている。一番地球環境に良いのは、溶かさないで使い回すことだけど、日本では進んでない。ドイツとかのペットボトルは、繰り返し使うことが前提で丈夫に作られているそうだ。

全てをぐちゃぐちゃにして溶かしてくっつけたい。環境問題とか、リサイクルとか、リユースとか、貧乏性とか、いろいろな性質が、私にはあるようだけど、根源的な欲求として、捨ててしまうゴミを大きな溶鉱炉のようなモノで溶かしたら金が生み出されるとか、金じゃなくても、鉄くずを放り込んだら、鉄の塊が出てくるとか、そいうものがほしい。おそらく、ドラえもんの道具とかが、その原風景なんじゃないかと思う。だから、冬場に毎日のように食べるみかんの皮も、捨てないでベランダのプランターにまく。まいたのが散らかっているときがあるから、もしかしたら、野鳥が食べたのかもしれない。

全ての物質が原子で出来ているなら、捨ててしまうモノなんてものはなく、全部が潰れてくっついて、固まって塊になってほしい。そんな気持ちが頭の片隅でくすぶり続けていたのだが、ある日、夢の中に神様が現れた。神様の名前は、ダン・シャーリー。「なんでも溶かして固めてくれる畑」をプレゼントしてくれたらしい。目が覚めて、流石に、夢だと思ったのだけど、家の外に出て驚いた。父親の仕事場だったところが、畑に変わっていた。増築された仕事場は、それ自体が消えてしまっていた。そして、その日のうちに、私の記憶から、父親の仕事場が存在していた事実すらも消えてしまった。

仕事場の建物と、父親がどのようにして、この世から消えたかはわからない。平行世界に飛ばされたのかもしれないが、畑が出来る時に、砕かれて、畑に吸収されたのかもしれない。その事実は分からないが、神様がくれた畑は、全ての物質を受け入れる畑だった。

例えば、生ゴミを畑にまいて、シャベルでザクザクと土をかけると、それらは全て肥料となり、土が豊かになったし、野菜や果物の種が混じっている時は、その種が発芽した。ピーマンとか、ゴーヤーはよく育ったし、よく分からない柑橘類が生えてくることもあった。大きくなりすぎると、畑の面積を圧迫するので、植木鉢に移植した。その状態で、メルカリに出品してみたら、観葉植物のようなノリで売れた。ホームセンターで買った種も発芽するのだけど、畑の趣旨と違う気がしたので、基本的に買ってきた野菜の生ゴミをまくことにした。ピーマンなどは、収穫可能な季節の間は無限ループする。

生ゴミよりも面白いのは、その他の一般ゴミだった。例えば、紙類などをまぜておくと、一定量が集まると、トイレットペーパーになって出てきた。なんというか、地面に穴ができて、ぽこっと出てくる。トイレットペーパーにならなかった印刷されたインクとか、石油原料の何か(よくしらない)などは、別のモノを作る時に使われるのじゃないかと思われる。

私の生活ではあまり出ないのだけど、空き缶や故障した家電製品などを埋めておくと、鉄やアルミなどのインゴットが出てきた。そのうち、金のインゴットなども出てくるのじゃないかと期待しているけど、金はなかなか集まらない。廃品回収業でも始めようかと考えているが、あまり欲をかくのは良くないのかもしれない。鉄やアルミのインゴットは、くず鉄屋に売りに行った。それだけでも、けっこうな金額となる。廃品回収はしてないが、毎朝散歩をする時に、空き缶とか、そのほかのゴミを拾うようになった。拾ったゴミは、家に帰って、畑に埋める。

面白いのは、ペットボトルやお菓子の包装や袋に使われるプラ類やビニールだった。ペットボトルは、ペットボトルになるのか?とか、ウェスとか、フリース生地のようになるのか?と思ったら、インゴットとして出てきた。インゴットだと思ったら、粘土のような柔らかさだった。

この粘土のようなプラ類の塊の性質を理解するには時間がかかったが、揉んでいると体温と反応して、揉んでいる間は柔らかい。そこに光を当てていると、硬化する。光源はLEDなどよりも、投光器などの熱を持つ強い光の方が良いようだ。一度、硬化すると揉んでも柔らかくなることはなかったが、硬化したモノを畑に埋めておくと、後日、粘土のようなインゴットのような形で出てきた。紙についたインク類とか、その他の物質は、プラ粘土インゴットの材料になっているのじゃないかと思う。

このプラ粘土はなかなか便利だった。色合いはまちまちだったのだけど、かねてから頭の中にあった構想を形にすることが出来た。作品名は、握り棒、股ボール、股ボール3D、股間キーパーなどを実際に作ってみて、改良を重ねつつ、完成版をメルカリに出品したら、そこそこ売れた。このプラ粘土が、ぐちゃぐちゃにしてくっつけたいという願望に一番近かったように思える。ダン・シャーリーの畑は、確実に私の生活を豊かにしてくれた。


ある朝、ベランダのプランターに、小さな鳥がいた。おそらく雀だと思うが、子どもの雀だったのだろうか。私は、お米などを持ってきて、近くに置いておいたのだけど、お米を食べることはなく、次に見た時には、死んでいた。私には、どうしようもなかったことなのだが、少し悲しかった。

雀は、ダン・シャーリーの畑に埋めることにした。きっと、その小さな身体も、骨も、全て畑の栄養となってくれるだろうと思った。次の日、畑に行ってみると、小さな骨の塊があった。詳しく見てみると、その骨格は、雀のものだと分かった。その雀の骨を再び、畑に埋めてみると、もう何も出てこなかった。骨は、畑の栄養となったのだろう。

今まで、魚の骨とか、肉の骨とか、そういう生ゴミも畑に埋めたことはあったが、全て畑の栄養になっていた。身体を丸ごと埋めたのは、雀が初めてだったのだけど、動物の死体を埋めると、一度、骨になるようだった。

だったら、例えば、人間の遺体を埋めた場合は、やはり、まず遺骨になるのだろうか。神様からもらった畑。ダン・シャーリーは神様。そういう宗教なのだろうか。テレビで、新しい埋葬の形を特集していて、遺骨粉砕業が紹介されていた。自分でも出来るかな?と思ったりもした。

ダン・シャーリーの畑を使えば、火を使わない火葬を実現できるかもしれないし、出てきた遺骨は、私が粉砕すればよいのかもしれない。ただ、火を使わない火葬場を開業するには、よく知らないが、公的な資格が必要なのかもしれない。

あと、私の記憶から消えたことなので分からないが、仕事場と一緒に父親が畑に吸い込まれたとしたら、遺体とは言えない、肉片に細かく砕かれていたのかもしれないし、やはり、畑と入れ替わる形で、平行世界に転移されたのかもしれない。

そのどちらかだったのか、あるいは、もっと別のことが起きていたのかは分からないが、畑が現れる前にそこに立っていた仕事場も、その主であった父親のことも、私の記憶から消えたので、確かめようがない。ただ、畑を手に入れた時に人骨などは出てこなかった。もしかしたら、それが人骨と分からないままに、生ゴミに混ざって、もう一度、埋めてしまったのかもしれない。

神ダン・シャーリーがくれた素敵な畑。明日は、何を埋めてみようか?と考えながら、今日も眠る。まだ埋めたことないモノは、何があったっけ。私が寝ている間に、畑は、ぽこっと何かを生み出してくれている。