大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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匿名と死と実名。

まずは、ご冥福をお祈りします。ただし、「ご冥福をお祈りします」という言葉に、どのような意味があるだろうと、胸の中に消えないものがある。私の中で、hatenaというものが、大きく影響しているというのが、わかる。

hatenaで、こんなことが起きるなんて、考えもしなかった。悪い予感ではないけど、少し前からモヤモヤしていたことを、文字にして書いてみようと思う。ただ、最初に思ったのは、「反社会的勢力か?」と思ったので、私の予感なんて、そんなものかもしれない。

モヤモヤしていたことは、氏が「ネット上の謎の人」から「実名の人」に変わろうとしていた部分。もちろん、それは氏の人生設計の部分であるので、私が感じたことは、ただの感想でしかないのだけど、私はネットの人は、ネットの人のままでいて欲しいという部分があった。

悪い予感とは違うけど、なんだか、ざわっとした。もしかしたら、それは書籍を出された時ぐらいから、決まっていたのかもしれない。


匿名が無敵というわけではないけど、今回のことで、改めて思わされたのは、ネット上の匿名が実名と連続し、居場所が分かってしまうと、現実の悲劇にも結びついてしまうということであろうか。

しかし、危険性が増すことが事実であったとしても、殺人事件に発展することを想像できた人はいるだろうか。報道では、「ネット上の恨み」と表現されていた。私も、加害者の当該アカウントにはhatenaで認識していた。

「ネタなのかマジなのか分からない」というよりは、「ネタだと思っていた」の方に近い。思えば、何度もアカウントが停止しても、次のアカウントを復活させて、全く同じ内容のIDコールを送り続けてくるのは、常軌を逸したモノだったのかもしれない。

詳しく報道するには難しい、アカウントに対する俗称も、本人が発するIDコールの延長のアイデンティティになっているというような印象あった。

あのブクマ活動がネタだったのか、ガチだったのかは分からない。しかし、あの活動の延長に、殺人事件が起きたことは事実なのだ。

だとしたら、氏があのエントリをアップしなかったら、事件は起きなかったかもしれない。セミナーが行われた場所が、他府県であれば、起きなかったのだろうか。

全ての不運が重なったからこそ、事件が起きたのだろう。だからこそ、氏が実名での活動を広げようとされていたことが、悔やまれる。ずっと、匿名の人でいて欲しいというのは、私のエゴなのだが。


私も、無職なもんで、どちらかと言えば、加害者の側になるかもしれない。殺すとしたら、父親になるだろうな、と思う。このような発信をすることが、ブレーキになっている。しかし、周囲の人を見ていると、年齢を重ねるごとに、立場や社会的責任が、どんどんと大きくなってくる。氏も、実名での活動を広げようとされていたのは、社会に貢献しようとする意識が高まったからであろうか。

思えば、被害者は41歳。加害者は42歳。私よりも年上の人達だ。加害者の犯行動機などが、詳細に報道されることはあるのだろうか。

今回のことで、改めて意識したいのは、ネットでの活動の延長上に、殺人事件は起こり得るということだと、改めて思う。それは、全ての人が当てはまるけど、匿名だから守られていた部分が、実名に切り替わっていく時に、危険があるのかもしれない。

「死ね」を連呼する人が、本当に殺人を行うなんて、思わなかった。ネット上の居場所を奪われていたかもしれない加害者のことにも、思いを巡らせたいが、その余裕はない。

最後に、これは、自分に向けてでもあるけど、人を殺すと、相手の人生が終わる。同時に、自分の人生も完全に終わる。人を殺す前に、殺害予告を出すとか、もっと違う方法を選んでいれば…と思う。

無敵の人という表現は嫌いだ。自分に失うものがないから、他人の命を奪うという行為は「無敵」とは、違うと思う。ただし、インターネットが最後の場所の人がいるならば、同時に考えないといけないのかもしれない。

私のhatenaの中で、大切な人だったと気付く。今回の事件が、インターネットの中の大きな転換点になりうると思ったが、また、意識は薄まっていくのかもしれない。

ただ、ネット上のやりとりの行き着く先に、殺人事件が起こり得るということは、意識しておきたい。


本当に悔やまれる。hatenaで、こんなことが起きるなんて、思いもしなかった。