火ノ丸相撲を読んで、テレビで相撲を見るのが楽しくなりました。
今Hatenaで話題の白鵬の36回目優勝においての「変化」は、テレビで見ていたのですが、勝負が決まった瞬間に「はてなで荒れる」と思ったのですが、やはり、そうなりました。この問題を色々と考えていて、最終的に行き着いたのは、「横綱が横綱相撲をとらなくなるとマンガ火ノ丸相撲を楽しんでいる根幹に関わる」ということでした。
そう至るまでに感じたことをエントリにしてみます。
横綱の変化問題を考えるうえで知っておいてほしいこと。
実は、私は以前にHatenaで話題になる前は、横綱はどのようにしてなるのか?というのを知りませんでした。勝てば位が上がり、そのトップが横綱になる…というような認識でしたが、実は、そうではないことを知りました。
「横綱審議委員会」という組織があり、「2場所連続優勝するに準じる力量」などが前提として、審議の基準があるようです。以下は、その基準に関してのウィキペディアからの引用です。
横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。
横綱審議委員会 - Wikipedia
Hatenaで話題になっている中で、ルールとかモラルとか、色んな言葉が飛び交っておりますが、力量が優勝回数や成績であるならば、品格とは相撲のスタイルや勝ち方でしょうか。変化などは反則ではないですが、横綱の品格に関わる「横綱相撲」においては、相反する部分があります。
火ノ丸相撲は小兵力士(高校生)が横綱を目指すマンガです。
ここで、マンガの話題に戻しますと、火ノ丸相撲の主人公・潮(うしお)火ノ丸は、新弟子検査も受けれない低身長なので、高校相撲で実績を残す必要があるのですが、小兵が得意とする相撲をとらないで、横綱相撲にこだわり続けます。それは、横綱への憧れもありますが、死別した母親への想いなども強いようです。
「ルールの中で勝てばよかろう」という考えは、主人公には存在しません。おそらく、白鵬の勝ち方が「ルールの範囲内だから文句ぬかすな」という意見の人は、きっと主人公の葛藤というものに共感できないかもしれませんが、私も、読むまでは「横綱相撲」という概念や、朝青龍が休場中にサッカーして怒られた意味とかは分からなかったし、分かろうとしなかったのですが、火ノ丸相撲読むことで、テレビで視聴する時に面白さのポイントが分かりましたし、また「横綱が横綱相撲をする」意味というものも理解できました。
私の場合は、興味の順番が、マンガ→現実なので、白鵬が変化で勝っちゃったら、潮の頑張りの意味がなくなる……というのが、今回の騒動で考えることです。
動画にもしました。
ここまで書いたことと、それに至るまでのことをユーチューバー的に動画にして語ってみました。
このエントリを書くに至るまでに読んだ珠玉のエントリへの感想。
いろいろとHatenaブッコメークでコメントを残していたのですが、それらに対して感想を書きます。同時に書いた人にIDコールが飛ぶと思いますが、このエントリを書くに至ったことなので、手斧だと思わずに読んで頂けると幸いです。
小兵力士が横綱になったとしたら…。
小兵力士が横綱になったときに小手先のテクニックで勝ちを拾っても良いような雰囲気づくりも欲しいな。
白鵬の使う変化や猫だましも、立派な技術として見てほしい - 札幌訪問型鍼灸治療院つちだ
横綱審議委員会の審議する「品格」が、今後変化するのか?は分からないですが、現状では横綱に求められているモノに「小手先のテクニック」は、ないように思えます。
もちろん、興業としての相撲の面白さは、変化していくのかもしれません。
ルールや不文律に関して…。
横綱が変化を使わない方がいい…というのは、ルールじゃなくてマナー、不文律(?)という話題は各所でされました。以下は、そのことに関しての引用です。
それは、「明文化されたルールより不文律を尊重すべき」とでもいうような空気だ。
大相撲春場所千秋楽の白鵬バッシングに感じた違和感は主語を思いっきり大きくとると「日本社会のルールというものに対する意識のユルさ」なのではないか? - しいたげられたしいたけ
横綱審議委員会に関しては先述しましたが、「横綱は変化は禁止」というルールこそないですが、横綱になる際に「品格」が審議されているはずです。その審議の延長線上にある横綱相撲は、ルールではないにしろ、マナーやモラル、不文律と言う言葉で区切るのは、若干の違和感があります。
余談ですが「主語大きい」は炎上要件の一つなのに、主語を大きくするwattoさんは、すげーなと思います。
以下もモラルに関しての引用です。
選手個人のモラルばかりが注目されていて、肝心のルールについてはほとんど触れられません。
白鵬を叩いているひとは一流になれない 「白鵬はモラルがない」とか言っちゃうおバカさんたち - 村紗カイの日記
murasakai氏は、おそらく火ノ丸相撲を読む前の私、横綱審議委員会に関してウィキペディアを読む前の私の知識量に近いのじゃないか?と想像しますが、そもそも横綱になる際に「品格」も審議されているというのは、知っておいてほしい部分です。
あと、「ルールの範囲内なら勝てばOK」というのは、興業としての側面、一流の力士としては、「批判の出ない勝ち方」というのも、プロとして、一流として求められているのだと思います。
勝てば、成績が良ければ横綱になれるという訳ではない相撲は、他のスポーツに比べると非合理的かもしれません。また、横綱相撲とは、興業として盛り上がる相撲なのかもしれません。
しかし、私が火ノ丸相撲で知った「横綱像」というのは、モラル、品格の部分も含めた存在なので、ルールの範囲内で勝つ一流という姿は、少なくとも憧れることはできない訳です。
(ジョジョや、2016年20号から連載再開されるハンターハンターにおいては、そういう勝ち方も好きかもしれません)。
読んだHatenaブログの中で一番共感した文章を紹介します。
以下は、読んだブログの中で一番共感した文章の引用です。
一番強いやつは、堂々と相手の得意を受けて立たなければならない。そういう姿勢は心を打つし、見ていて心地よい。王道の物語の主人公は、絶対にあんな勝ち方はしない。横綱はあんな勝ち方をしてはいけないのだ。
心無き国技 - friedhead's
もうこれに尽きると思います。それは、他のスポーツに比べたら不合理で、保守的で、相撲はスポーツじゃないとかなんだかかんだかあるかも知れませんが、少なくとも、現状は、こうあることが横綱なのじゃないか?と思えます。
白鵬においては、優勝回数じゃあなくて、そもそも横綱になった時にあったであろう「品格」を取り戻して欲しいものです。
なお、私は火ノ丸相撲から相撲が好きになったので、白鵬がどのような道をたどり、最近はどうだったのか?どういう重圧と戦っておられたのか?などのことは、詳しくしりません。
ただ、批判された、ネット上で炎上が相次いだことも含めて、話題性を呼び起こす存在というのもまた、横綱なのかな…?と、最終的に思いました。
火ノ丸相撲1巻は期間限定無料中のようです。
今回の白鵬変化騒動において、火ノ丸相撲を知らなかった人は、どういうわけか、今Kindleが無料のようなので、良かったら読んでみてください。
(このエントリがバズったら、Amazonギフト券をばらまこうとか思っていたけど、そんなことするまでもなく、無料になっていたディスティニー)。
余談・ルールの範囲内なら勝てば良かろうが蔓延する社会は余裕がないように思える。
相撲に限らず、「勝つ」ことが求めて、成績が良かったら、その種目が注目される。なでしこジャパンとか、ラグビーとか。それは、昔からそうかもしれませんが、横綱相撲よりも、「勝つ」ことが優先されたり、「ルールに反してないのに何が悪いんじゃ!」という意見が、飛び交う世の中は、何か余裕がないように感じました。
「では、変化をルールで禁じればよいのではないか?」というのも、余裕がないように思えます。相撲に限らず、いろいろなルールがありますが、「ルールの範囲内ならグレーゾーンもOK」よりは、ルールなんて意識しなくても、気持よく生活できる社会になってほしいな…とか思いました。
さらに余談ですが、横綱相撲のように、横綱はてなーってのがあるならば、飛んできたIDコールは全部引き受けるというようなブログの品格があるのかもしれない…と妄想したのですが、私は都合の悪いIDコールは無視するので、ブログ界の潮火ノ丸にはなれそうになさそうです。
はてなで横綱って言えば誰でしょうねえ。よしなに。