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ワールドカップに感じる嫌悪感‏(私には訳がわからんフィーバー1 :乱れ蝙蝠の寄稿)。

はじめに(ナカノ実験室)。

今回も友人の乱れ蝙蝠からの寄稿です。

私には訳がわからんフィーバー1 ワールドカップに感じる嫌悪感‏


最近、世間では大人気!とか支持されたりしてるのに私には 「訳がわからないよ」と言いたくなる物が多い。


一つはワールドカップ。オリンピックもそうだが私には何の興味も無い。だいたい私はスポーツには興味無いが、ワールドカップにたいする熱狂にはなんか嫌悪感を覚える。

「日本中が応援しています!」

みたいなのをタレントが言ったりしてるのを聞くと

「俺はしてねえよ!」

と言いたくなる。

集団の圧力というか同調を求めるような雰囲気、ムードにはうんざりだ。日本チームを応援したい!という気持ちが全く理解出来ない。だって私とは何の関係もないもん。それに、国同士が戦うのだから、

「日本が世界で一番!」

みたいな鼻持ちならない雰囲気が蔓延するのも嫌である。今回、日本がザンビアと戦ったがニュースとかじゃこの試合を「仮想コートジボワール」とか言っていた。ザンビアに失礼では?ザンビアとコーボジボワールは同じアフリカといえども全く違う国だし、ザンビアも一生懸命戦っているんである。勝手に同一視するなと。ここにもその鼻持ちならない雰囲気の一端を感じた。


だいたい、私はナショナリズムが嫌いなのだ。私にとって国とは単なるシステムだ。だから「ニホン」が思想的、文化的な支柱という意味で用いられると、

「ちょっと待てよ」

と思う。
私もシステムを構成する一員だからシステムが円滑に進むように法律は守ります。ただ、それを愛しよう!とか奉仕しよう!とか強制されるのは真っ平ごめんである。システムがサッカーで勝とうが負けようがどうでもいい。安倍は教育改悪を目指して、愛国心が身につく教育とか道徳の教科化とか言っているが、バカかと。そんな事したら思想が固定化されてしまうじゃないか。
つくづく、日本という国の集団化、排他的な傾向が強まってると最近感じる。東日本大震災後の日本では「絆」の大切さが謳われた。それは素晴らしい事だが、物事にはいい面と悪い面がある訳で、それが集団化を助長しているのかもしれない。、恐怖や不安からとりあえずみんなくっつきたい。恐怖や不安から必要以上に他者を排除する。恐怖や不安から高圧的でも強いリーダーを求める。(この場合の「強い」は「幼稚」の裏返し)
だからあんなバカな首相が支持されるのだろうか。これについてはまた次の記事で書きます。


またブラジルでは反ワールドカップのデモなどが相次いでいる。ワールドカップなんかやってる場合か、福祉や教育に金を使えと。ブラジルの壁に書かれた、痩せ細った子供の前に皿に乗ったサッカーボールが乗っていて子供が泣いている落書きがあったが非常に印象的だった。ワールドカップじゃ腹は膨れない。貧困とか絶望的な格差とか恐ろしいほどの治安の悪さを隠して無視して、華やかなワールドカップに金を使っている。
2020年の東京オリンピックにも似た物を感じる。福島の汚染水の問題とか原発の問題とか脇に置いといて、わーいオリンピックだ!!みたいな。安倍がついた
「汚染水は完全にコントロールされてるよ!」
みたいな大嘘で転がりこんできたようなオリンピック。そんなもん支持できません。闇とか歪みとかそんな物に蓋をして、明るさとか希望とか聞こえのいい事ばかり言っていればそのうち絶対に破綻するだろう。そんなのを信用してはいけない。


とにかく、コートジボワールやギリシャやコロンビアには頑張って、サムライジャパン(笑)をボコボコにしてもらって、バカ騒ぎしている奴らをさっさと黙らせて頂きたい。