大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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ブログはマッチョじゃないと続かないのかな?

それって体罰に似ている…とか、書くとガンガンに炎上しそう。でも、ネットの叩きと教育錯誤的暴力(体罰)といじめに関する考察とかは、時々されていたっけ?

以下の記事を読んでみて。

  • ご挨拶 - 体調わる子の毒吐きブログ
    • ブコメ[はてな][ブログ][インターネット]2013年、はてなブログ事変の象徴的な記事。俺も何度か言及記事を書いたけど、それが石となりつぶてとなってしまったのかも知れない。
    • また、温かくなったら。復帰されたりしないかな。

私の印象では毒吐きブログをしていたら、毒への言及、つっこみ、Disが沢山になったから、疲れたから辞めた…という感じでしょうか。

そこで、前々から考えていた…。

ブログはマッチョじゃないと続かないのかな?

ということを思い出しました。実際、このマッチョに関するあれこれの考察には、「マッチョじゃなくても皆がまったり馴れ合いでブログできたらいいのに」と思っていた。ブログを続ける前提として、突発的に起こる炎上に耐え得る精神…とかハードルを作ってしまうのは、どうなのか…と考えていた。

果たして「叩く」とはインターネットに必要なのか?その辺りを考えると「体罰」という言葉が思い浮かんだ。肯定・否定の意見があって、時に絶対的な正義として執行される…と、薄い共通点を広げて書くと、炎上しやすいのだっけ。

ただ、この記事を書きながら分かったのは、当然かも知れないけど。

尖ったことを書けば尖った意見が返ってくる。

ということだった。当然と言えば当然。しかし、はてなにおいては、夢の3ブクマ目からのミラクルバズ体験で、夕方にはネットニュース入り…みたいなルートがあるから、尖ったことを書くリスク(アフィリエイトとかやってたらチャンスとも言える)はあると思う。

「書きました」的な1ブクマセルクマツイッター連動とかも、効果があると思いつつ、死地に飛び込んでいるかも知れない。


その辺りを考えると、はてなブログというのは、実生活では話ことのできない言葉の苦しみや、怒り、憤りというものを吐き捨てるには、向いてないのかも知れない。アフィリエイトをしているから、Disブコメも、ブロガーは喜ぶと思われているかも知れない。

まだ、私は「マッチョじゃないとブログを続けられない」という意見には賛成できない部分もあるのだけど、ブコメ、言及、IDコール、罵倒…そういうのを次の燃料に転化するような精神構造が必要なのかも知れない。

ただ、それらが何をも跳ね返す弾力的な筋肉、マッチョと呼ばれるならば、私は炎を操る魔術師になりたい(メラ)。ただ、私は、どっちにも向いてない気はするけど…。

しかし、なんだかんだで8年ブログが続いているのは、それなりに折れないモノがあったからか。ブログの社内バレ(?)に遭遇した数年前、あの日の空は青かった。また、お会いしましょう。