大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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弱者が弱者を襲う時代と20代の頃の限界。

弱者が弱者を襲う時代。

「ジジイを刺すなら、当確に沸く選挙事務所を襲撃せえ」と思ったりした。炎上しそうなことだから、Twitterには書かないけど。

人殺して自殺したがら人間爆弾たちは、弱者を狙う。似た事件が起きるけど、だいたいが不意打ちで、勝てそうな相手を狙っている。

世の中に不満があったとしても、政治とか、体制への不満じゃあないから、一般人を狙うのじゃないだろうか。死刑にはなりたいけど、警察とか、SP(いるのかどうか知らんけど)とか、そういう人に制圧されるのは、嫌なのだろうか。

そもそも、社会に復讐するような人間は、視野が圧倒的に狭くなってるんだと思う。

20代の頃の限界。

人生に絶望した時に、刃が自分に向くか?他人に向くか?というのはあると思う。今の私は、殺したいほど憎んでいる人間が明白なので、他人に向くけど、見ず知らずの人には向かない。そもそも、人殺しはしないと思うが。ただ、自殺などにも向かないと思う。

しかし、自分が20代の頃に、自殺を考えたことがあって、そのことは、何度かブログに書いていた。以下のような内容。

私は大学を4年、大学院の前期課程を4年(つまり2年留年)しているのですが、2回目の留年が決まった時に、「もう大学院辞めます」と決めると、学校の方から「家に言って、ナカノ君の現状を相談したい」みたいな話になって、「ああ、もうダメだ。逃げきれない。死のう」と思いました。
自殺した人に「アホ」とは言えないし、自分が自殺を考えた時は「アホ」って言われても、何も変わらなかっただろうな。 - 大学院卒ニート、しやわせになりたい。

どこまでが自殺未遂というのかは分からない。例えば、手首に刃物を押し当てた。血は出てない。タバコとウイスキーの水割りを作って少しだけ飲んだ。死んでない。ってのは、自殺未遂とは言えないのかも知れない。
自殺未遂の未遂の未遂ぐらいをした時の脳が冷えた感じを思い出す。 - 大学院卒ニート、しやわせになりたい。


「視野」という観点で考えてみれば、引用部分のようになった心境は、大学教授が家にやってくる、大学院を留年するという事実だった。実は、勉強をしてなくて、留年するという事実が、この世の終わりのような心境だったんだと思う。

この時に、教授来訪の約束とかぶっちして、どっかに逃げるとか、そういう選択肢もあったのかもしれないけど、「逃げられない」と思ってたし、親とか教授を殺すって選択肢もなかった。そっちを選んでたら、私は死刑になっていたかもしれないけど。

留年するという事実は変えられなくても、自殺する(できてないけど)という選択以外は山程あったんじゃないかと思う。友達に相談するとか。

今、振り返ると、「脳が冷えた」という感覚が思い出される。どっかで拾ったナイフとか、シケモクを拾ってペットボトルに詰めるとか、そういう時は、心が動いてたように思える。

犯人の心境はしらんけど、犯行当日の準備をしている時、ライターオイルを買い出しに行く時の心境ってのは、私の人生の中では、あの日が近いのじゃないかと思う。

まあ、オチとかはないのだけど、そんなことを考えていた。30代になると、気持ちは楽になった気はするけど。