森喜朗元首相のオリンピックとかの発言が物議を醸してる。私は、氏のスポーツ分野での活躍を知らないので、「ゴルフやって辞任した人」というイメージしかない。
安倍元首相が歴代最長だったりして、最近の政治家は辞任しないというイメージの昨今においては、「あの頃は、ゴルフで辞任したんだなー」と懐古する。
「森さんの発言は擁護することはできないが」という枕ことばを、ここ最近死ぬほど聞く。この問題を語る時に、この枕ことばは必須になっている気がする。必須アミノ酸。
できれば、私は使いたくないのだけど、使いたくなる気持ちは分かる。だが、私は擁護しない。完全に間違っている。心でどう思ってても、外に出した時点で責任が問われる立場にいる以上、どれだけ功績があっても(本当にあるのか知らんけど)、あれだけ分かりやすく批判されるようなことを、わざわざ言っちゃうのは、終わってる気がする。
全く言う必要なかったことだから、話の流れが違ったり、口に出す前に思い直せば、避けられた事件かもしれないが、いつか起きていたことなんじゃないかとも思う。一切擁護できないし、80歳すぎてこのざまなら、もう終わっている。
だが、救いたい(できたら)。
森喜朗氏が救われるとしたら、色々と考えた結果ではあるが…。
宗教が一番なのじゃないか?
と、思った。出家とかベストかもしれない。80歳を超えて、ジェンダーに対する意識を変えるのは無理だと思うけど、仏教なら80歳の凝り固まった心に染み入るかもしれないし、仏教的世界観から考えれば、森喜朗氏の人生など、宇宙の中の塵一つよりも些細なことだろう。
森喜朗氏を救いたい。
出家はよ。