大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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卑屈になるな。

最近、気持ちが落ち込みそうになると、そんなことを考える。少し前に、暗い記事を毎日のように書いていた時期があったけど、今も、そういう記事を書いているかもしれないけど、「卑屈になるな」と自分に言い聞かせることが多い。

ブログに書いていることは断片的で、きっと私の日々の暮らしを話したら、「いや、お前が悪いよ」と言われるようにも思うけど、卑屈にはならない。

ムカつくヤツとは話さないし、食事も一人でする。「過去のことをいつまで拘る」と言われても、自分が納得行くまで絶対に許さないし、本格的に追い込まれたら、暴力による報復だってやってやる。

ただ、卑屈にはなるな。世の中には、世間体とか、常識とか、時間とか、家族とか、そういうことの美味しいところだけさらって生きているヤツがいる。

「昔のことをいつまで言ってる」。

「もう忘れた」。

「いつまで同じことを言うんだ」。

こういう言葉で煙に巻いているヤツは、いや、実際は「煙に巻いている」とすら表現されず、圧倒的に常識の側に立っているような感じで、過去の罪をなかったことにしているし、世の中の強者になれば、盲目にそれに従うヤツも多い。逃げられないDV被害妻とか、その典型だと思う。

どのような考えが世の中の多数派で、自分が少数派であり、誰かに非難されても、自分がムカつく理由があるならば、卑屈にはなってはいけない。

「暴力による報復」なんて物騒な言葉が飛び出させたが、結局、私がムカつくヤツらは、過去に暴力をやっているし、謝罪もしていない。暴力に対する、暴力による報復は、世の中的に犯罪なのは分かっている。

ただ、卑屈になるな。ヤツらの暴力が不問であったように、私の暴力も不問になるだろう。つーか、警察に通報するんだったら、通報すればいい。世の中がそういうふうになったのも、ヤツらの利なのかもしれないが、ただ、私は卑屈にはならない。

私の怒りは、きっと、相手の歯が折れるくらいにボコボコ殴った時なんじゃないかと思う。この感情は間違っていない。なぜなら、思っているだけで、まだ実行してないから。

心がくじけそうになったら、「卑屈になるな」と言い聞かせている。