大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

スポンサーリンク

小説「自殺しようと思って樹海に行ったらユートピアあった、わろた」。

人生が嫌になった。自殺しようと思うのは、自分の場合は、苦しさというより、慢性的な希望のなさなんじゃないかと思う。「自分が死んだって誰も悲しまない」なんて、使い古された言葉があるが、そういう言葉が、リアルな肌感覚として、自分の周囲に漂っている気がする。

「親は泣く」というのが最後の砦に思えるが、今、思うのは、死んだら死んだで親もほっとするのじゃないか……ということだと思う。

私が行きていることで、誰かに迷惑をかけているということもないと思うけど、同時に、自分が消えてなくなっても、世の中の損失もないのじゃないかと思う。

どのように死ねば苦しくないか。マグマとかに、酔っ払った状態でコロっと転がり落ちたら、苦しむ間もなくて、体が焼けて、溶けて死ぬのじゃないか?と思っていた。関係ないが、山口メンバは酒で酔っ払って事件を起こしたし、ハワイはマグマが噴火してるし、想像とは言え、タイムリーな死に方なのじゃないか?と思えた。


ハワイに行く気力もなくて、なんだかんだで、迷い込んだのは樹海だった。夜行バスとかを使った旅行も、数えるぐらいしかしたことないのだけど、予約をして、京都駅の八条口でバスを待って、トイレ休憩をしつつ、気がついたら、目的の場所まで着いた。これから自分が樹海に行くのを誰かに感づかれて、途中で止められるのじゃないか?とか思った。タクシーで、運転手に根掘り葉掘り聞かれるのじゃないか?と思ったが、そんなことなかった。誰も、私に興味がないのだろうか。

そうして、私は樹海の前に来た。日本語で書かれた看板(当然であるが)があり、古いとは言え、舗装された道があり、ここから幾らか歩いたら、死の世界が広がっているとは、とても思えなかった。山歩きはしたことがあるが、どのように遭難して、どれくらい遭難すれば戻れなくなり、どのように体力が減り、喉が乾き、死に至るのだろうか。絶望の中で、自分で首をつるのだろうか。

道を歩きながら、途中で、脇にそれ、植物が生い茂っているところをガサガサと進んでいく。前日は雨だったようで、土はぬかるみ、これから夏に向けて生えようとする下草が、青々としている。それらを踏みしめて進んでいく。あと、どれくらい歩けば、私の死は確定するのだろうか。1キロだろうか。2キロだろうか。10キロくらい歩かないと遭難しないのかもしれない。自分の歩いてきた方を振り返ると、踏みしめた草と、足跡が認識できる。「まだ死なない」とか「まだ引き返せる」とか、そんなことが、心に浮かぶ。


どれくらい歩いたかは分からない。自分の足跡などのことも考えなくなり、夜の闇がやってきた。森の中で、どのように自分は寝るのか……なんてことを考えていた時だった。

最初は、目の錯覚かと思ったが、火の玉のようなものがやってきて、それらの数が増えた。それは、行灯のようなもので、目の前には人のようなものが立っていた。それは人間だったのだが、最初、私は幽霊でも現れたのか?と思った。

人間の声がして、それらが人間だと分かる。それは、雨合羽のようなものをかぶった。五人の人間だった。

「ここで死にますか。よろしければ、私達と一緒に来ませんか。」

一人がそう言った。言葉の意味は分からなかったが、詳しく聞いてみると、彼らも元々は自殺志願者だったらしい。しかし、思いとどまって、樹海の中で生活をするようになったらしい。完全の自給自足。畑を作り、川からは魚をとり、生活しているらしい。

いちおう、人里へ戻れるようにもしているらしいが、自分から戻ろうとする人はいないらしい。驚くことに、彼らの中には、いわゆる社会制度のそれとは違うが、結婚して子どもがいる人もいた。妊娠や出産のリスクは高い。流石に、樹海を出て、病院で産んだのか?と思ったが、彼らは森の中で産み、育てたらしい。

森の中には、彼らを苦しめたようなものはない。だけど、自分達で生きていくのは難しい。自殺では死ななかったが、森の中の生活で、病気で死んだ人もいるらしい。病院に行くことを拒んだそうだ。

彼らの住んでいる掘っ立て小屋に案内されて考える。ロビンソンクルーソーに出てくるような、ワクワクするような小屋ではない。昨日の雨で、地面がぬかるんで、ずるずるとしている。

もう自殺をしようという気持ちは失せていたが、ここでの生活を思い浮かべると、それはそれで大変そうだ。ここが、安住の地とも思えるが、結局、私は他人がいると、それだけでダメなのかもしれない。



……という夢を見た。いや、夢というには瞬間的で、「樹海で死んだらどうなるのかな」と考えて、次に、森の中に立つ五人のフード姿の人のイメージが過った。そこに続くまでの物語のようなものを書いてみた。

もしも、これから実際に、樹海に向かって歩きだしたら、私の知らない部分とか、想像の間が埋められていくのだろうか。そして、最後に五人は、現れるのだろうか……。