大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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ブロガーとして福島県に行きたいと思って行ったけど、特に何もなかった2012年。

ブロガーとして福島県に行きたいと思って行った。

2012年、仕事も辞めて、職業訓練校も終えて、無職真っただ中だった頃(今も無職)、「オレなんて人間は、社会のために除染作業とかやった方がいい」ってマジで思っていたのは、世の中の雰囲気だったのか、私がうつ病とかだったのか(自覚なし)。

その頃に、とある友人が福島県で働いていて、転職の関係で引っ越すことになっていたので、最後の一ヶ月を氏の家に泊めてもらうことにした。炎上が怖かったから、当時はブログ記事には書かなかったけど、福島県に住んで、ブログなどを書けば注目度が増すかも?と思っていたところはある。ただ、何が起きたのかを知りたい気持ちや、どうなっているかを現地に行ってみたいという強い気持ちはあった。

その当時の内容は、以下のカテゴリーにまとめてある。

福島県長旅2012年 カテゴリーの記事一覧 - 伝外超スデメキルヤ団劇

けど、特に何もなかった2012年。

結果だけ書くと、それでブログの注目度は変わらなかった。また、Jヴィレッジまで言ってみたり、海沿いに積まれた車や、打ち捨ててある船や、住宅の基礎だけが並ぶ風景など、祖父の形見のデジカメで撮影したのだけど、最終的にブログに公開しなかった。私はアフィリエイトをやっているので、ブログ記事にして公開することは、コンテンツとして稼ぐ手段になるので、その部分は憚られた。

(追記:公開しなかった写真は沢山あったのですが、港の様子などはエントリに書いていたようです)

結果、福島県長旅は、ラーメン日記や、パチンコ日記の意味合いが強くなった。今はどうか分からないけど、「つばめホール」なるパチンコ屋に行くと、多くの人が遊戯していた。


ブロガーとして注目度が高まることもなく、また、除染作業で現地に残るとかもなく、普通に京都府に戻ってきて、長旅は終了した。

目の前の風景がリアルじゃあなかった。

戻ってきてから、知り合いに「なんで行った?」と「行ってどうだった?」などを聞かれた。「行きたかったから」という理由と、「思った以上に感情が溢れてこなかった」というような話をした。

当時、私がテレビで福島県の様子を見ている時に、ナレーションとかBGMとか、被災者のインタビューとか、映像的に演出されたモノを見ていた。しかし、津波被害があったであろう、基礎だけが並ぶところや、積まれた瓦礫の山を見ても、当然ながらそこに感動的なBGMが流れるわけでもなく、ただ「結果」を見ていることになる。

どういうことが起きて、そうなったかはテレビで知っている。しかし、目の前にある現実の「結果」と、そうなった理由はテレビでしか知らないので、頭の中でわかっていても、体験として一致しなかった。

正直、体が震えたり、涙が出てきたり、激しい感情が湧き上がってくるのじゃないか?と思っていたのだけど、そういうのはまるでなかった。気持ちは、静かだった。

あれから3年以上経って、もう一度、福島県に行ったならば、また違った気持ちになるのかもしれない。

この記事を書こうと思って読んだ記事。

potatostudio.hatenablog.com


私は「フクシマ」という表現も、「3.11」などという言い方も好ましく思ってなかったのだけど、このエントリを読んで、その理由が少しわかった。「フクシマ」の示す意味はあるのだろうけど、どこか気色悪さを感じていた。

「福島」と言われた時に、具体的な地理が思い浮かばない私は関西の人間。京都府と言っても、京都市以外のイメージは、関東の人にはないだろう。

cyberglass.hatenablog.com


地震による被害の差により補償の部分で格差が出ているとか聞いた。「いっそ全壊して欲しかった」なんて声もあったとか、なかったとか。そんな話を思い出した。

おわりに。

撮影した写真は、前に使っていたXPパソコンに入れていたのだけど、壊れたので、二度と復元はできないと思う。それで良かったのだと思う。