大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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小説:彼女はいつも僕の傍で微笑んでくれていた。休日はヘイトスピーチしていた。

※以下の内容は小説です。私、ナカノ実験室(私のことをヤルキメデスと呼ぶ人は多いですが、ハンドルネームは『ナカノ実験室』です)の人生とはまるで関係のないフィクションです。本当です。


「そんなの課長だけですよ。」

アドバイスをしたつもりだったのだが、部下の女の子を不機嫌にしてしまった。そんなつもりはなかったのだが。しまったなぁ。別に嫌みをいったつもりはないのだけど。

「出会いってないですねぇ。課長はどうやって今の奥さんと結婚されたんですか?」なんて聞かれたから、「出会いってそんなに意識するもんなの?なんとなく一緒にいたら、付き合って結婚したようなもんだけど、うちは。」と答えた。そしたら、「じゃあ、それでどうやってチューに発展するんですか?」なんて聞いてきて、「忘れた。」って答えただけだったのだが……。

まあ、そんなのは、仕事の合間の与太話で、午後からの仕事に何も支障はなかった。ルート営業の営業職としては、営業事務の女の子と仲が悪くなることは、毎日がしんどくなるから避けたい。


そんなことがあったせいか、帰りの電車の中で妻と出会った頃のことを思い出していた。あの頃、彼女はいつも僕の傍で微笑んでくれていた。休日はヘイトスピーチしていた。

あの頃の僕は、大学院の留年が決まって、まあ就職も決まってなかったから、のんびりと修士論文作成の傍ら、(研究室の人間はよろしく思ってなかったけど)サークル活動なんかと続けていた時に、彼女と付き合うようになった。

特にどっちから付きあおうとか言い出した訳じゃなくて、お互いの趣味の相性が良かったのもあるかもしれない。彼女は、同じサークルの後輩で、彼女も大学院の受験を考えていた。留年が決まった僕だったけど、院試の相談などを個人的に受けていて、その延長で食事に行ったり、映画に行ったり。自分は農学科で、彼女は文学科の院を目指してたから「参考になるかわからないよ?」なんてことは、よく言ったと思う。

僕が留年したことで、在学期間が伸びたからか、話す機会も増えて、お互いの趣味を深め合うというか、理解しあう感じで、交際に発展した。当時の僕は土日に教職員組合の宿舎の宿直アルバイトをしていたから、デートは金曜日の夜が多かった。彼女は、休日はヘイトスピーチしていた。

宿直の入ってない時は、日曜日とかに市内でデートをしてたけど、彼女は鯨都(げいと)駅から南に行けないので、場所選びに苦労したっけ。結婚してからは減ってしまったけど、彼女とのデートは楽しかった。アンテナの向きと感度があっているのじゃないか?と当時は思っていた。鋼崎の鯨都市動物園で、寒い中で、ずっと走り回っているヤブイヌを二人して小一時間じっと見ていた時に、「あ、これかな」と思ったんだ。

そうこうしていて、僕も院を卒業して普通に就職して、彼女も院を卒業して就職して、ほどなくして普通に結婚した。まあ、その後に普通に子供が出来た。そして、今に至る感じ。彼女は今も、休日はヘイトスピーチしている。

短い休憩時間ってのもあったけど、営業事務のあの子にも、順を追って話したら、へんに機嫌を損なわなかったかも知れない。もしも、今度同じ質問をされたら、ヤブイヌの話をしてみても良いかも知れない。

前回。

大学院の留年が決まって、教授が家に乗り込んできたり、自殺未遂(未遂未遂ぐらい)騒ぎを起こして鬱真っただ中だったオレに、こんなにも可愛い嫁ができるなんて。人生変わったワロタ。

小説:大学院を留年して冴えなかったオレに天使のような恋人が出来て人生変わったワロタ。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

言及へのレス。

以下は前回小説への言及エントリからの引用です。

再読したときの、ピントのずれた感想を書いておくと、この話を裏返したとしても、個人の幸せとしては、何ら間違ってないような気もしてくる。その幸せは、誰もが祝福するものではないとしても、鬱まっしぐらだったオレが人生を幸せと感じるくらいに幸せに生きている。個々人の主義主張悪行に関わらず、一人の人間を幸せにできる能力のある彼女はすごい。たった一人の人間を幸せにするのも難しいし素晴らしいことだという、見方によっては卑屈な考えを前提にすると、だが。そうなると、裏返りがぼやけてしまうかもしれない。

マジレスかっこいい社会へ - 裏飯


実は書いた後に、似たようなことを考えていた。異常性、異質として『趣味としてのヘイトスピーチ』と考えたが、実際にヘイトスピーチと幸せな日常生活を両立している人は、日本社会にもいると思う。それを『異常』という前提にするには、多少の無理があったのかも知れない。

鬱や幸せというのは、あくまで私の人生経験や尺度で書いているが、話し合う相手がいる、弱音を聞いてくれる相手がいる、認めてくれる自分がいる……ぐらいで考えていて、それが「人間を幸せにできる能力」というほど、際立ったモノなのかどうかは分からないが、それのハードルの高低も、私にはよく分からない。

ただ、他者に寛容ではない自分を省みると、それは素晴らしい能力なのかもしれない。

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一つのアイデア以外、くすぶっている主人公(オレじゃない)と女の子が出会って人生が変わればいいだけだから、何も考えないでも書ける自分の大学院時代をモチーフにしたのだけど、それが失敗だった(ry。

小説の設定に異常性を一つ入れて、ありきたりの内容を面白くする試みとブコメレス。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

余談。

草案を作っている時に『(ヘイトスピーチグッズが家に溢れているから)学生の頃は家に入れてくれない。』という設定も盛り込もうと思ったのですが、やめました。