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ネット上での怒りを鎮めるライフハック例・著作権侵害は当事者(権利者)だけの問題ではない。用法用量を守って静かに怒る。

ネット上での怒りを鎮めるライフハック。

公開しようと思って、ローカルに下書きしていたら、ブームが去ったパターン。私は、ネット上の著作権侵害行為、画像を「拾った」等々のパクリ事案は、怒り心頭になり、だいぶ昔に情熱的に書いたら炎上しました。

ムカっと来て、自分の怒りをエントリに書くと、燃えてしまう場合もあります。そういう時は、他のブロガーさんの意見を読んで留飲を下げる。そして、自分の感情の背景を肯定する理由をテキスト的に確認して、その後は静かに怒るというライフハックです。

イケハヤさんの記事で頭に血が上っていたこと。

絶賛炎上(してた)中のイケハヤさんのコンテンツをパクるの是非問題。私は、以下の引用部が一番注目しました。

パクリ云々は、他人がどうこう言う話ではないんです。そのパクリがNGかどうかは、著作権者しか判断できませんから。バイラルメディアはパクリだらけだ!著作権違反だ!と怒る人は、一体何者なんでしょうね。

コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん!(随時アップデート中) : まだ東京で消耗してるの?


そんなことないわい!って思ったのです。全くもって感情的な部分ですが、正義の心に基づく「怒り」を否定されることで生まれる「怒り」というものは、やるせなく、元の怒りよりも増大すると思います。だので、自分の気持ちを代弁してくれている記事を探すことで、怒りを抑えます。以下から、当時読んでいた記事の引用を含む紹介です。

権利侵害の当事者以外の人も気にする理由。

著作権侵害は、いまや誰しも突発的に巻き込まれる可能性があると思います。以下は、引用です。

誰しもが被害者になる可能性がある話であって、被害者になる前から批判することは被害者にならないためにも有益なことだから。

イケダハヤトにブロックされた記念全文引用して何がおかしいのか1文ずつ徹底的に糾弾する会|きょうもえ|note


私は、基本的に文章をアップしていますが(書籍がある訳でもないので)、自分が権利侵害をされることは想像してませんでした。さらに、こちらの解説込みの記事を読んでみると、そもそも、イケハヤさんは「パクり」の認識ですらないと分かりました。

さらに同様の意見の引用です。

今なんてTwitterだので誰でも発言者たりえるし権利者たりえるわけでさ、
「別に自分がパクられてるわけじゃないから」ってスルーした時点で自分が被害者になった時に文句言えなくなるじゃん。
だから被害を受ける前から声を挙げるんだっての。

イケダハヤト氏が全クリエイターに対して宣戦布告を開始 - ヨッピーがブチ切れまくるブログ


なかなか苛烈な論調で賛否両論が別れてましたが、私の留飲を下げることになりました。もしも、自分が侵害される側になった時、自分の怒りに賛同してくれる人がいるってのは、やはり心強いと思います。


この時点で留飲は下がっていたのですが、さらに関連する意見を読み進めます。

著作権の現在、社会的背景など。

以下は、激しく同意できた意見。それぞれ引用します。

コピーの善悪は容易には他者に判断は付きません。

ですからイケハヤさんのように極めて例外的に「著作権フリー」を宣言されている方はその旨、作品に明記していただければよろしいと思います。

イケハヤさんからお手紙ついた - ネットの海の渚にて


例えば、作曲家や歌手の人でも、自分の楽曲がファイル共有されることに肯定的な人は有名な人でもいますが(たしか小室哲哉さん)、現状では、著作権フリーの側の人の方が珍しいと思います。私が「転載の許諾を得ています」という注釈がないと「無断転載だ!許さん!」と思ってしまうのは、その辺りの理由もあると思います。

以下は、匿名ダイアリの記事からの引用です。

違法に手に入れたもので作品を楽しんでファンを自称し、剰えそれを作者本人に「○○で見た。落として読んだ」と、平然と伝える人達がいる。

著作権者にも生活がある。 その人が今後も良質な創作物を提供するためには..


このあたりは回線速度等々のインターネット環境の変化や、ツイッターのRTなどの隆盛によりネット上のデーターへの感覚が変わって来ているのかも知れないですが、誰かが書いた絵の画像などを「拾った」とか言って、再配布しちゃうのは、ちょっと違うと思うのです。

以下からは、本題とは外れた部分まで、進んでいくパターン。発端となったイケハヤさんの思想的背景にたどり着きます。

イケハヤさんの背景的な部分。

関連記事を読んでいる中で、引用の解釈の難しさに関する記事にたどり着きました。以下は、「引用の判断」に関しての記述の引用です。

実際には単純な分量(文字数?、バイト数?、誌面の面積?)で主従関係が決まるわけではなく、引用の正当性については、最終的には裁判所が判断するものであろうと考えます。

徳丸浩の雑記帳: イケダハヤトさんの記事は適法な引用だと思う・・・今のところは


大学で卒業論文を取り組まれた人は、初期の卒論指導で引用に関する説明はあったと思いますが、学術論文である以上、同様のテーマの過去研究からの引用はすべきだが、それは「必要最低限であるべき」というのは指導されているのじゃないか?と思います。

ブログの場合は、ダイナミックに引用されている方が、その記事の閲覧者としては便利ですが、やはり、感覚的に主従関係を意識してしまいます。多いと、本当に引用者が注目した部分はどこなのか?と思います。

先述の引用に関する考えのイケハヤさんのアンサーは以下の引用部です。


たしかにぼくの書く記事の一部は「引用」ではありません。

でも、そのことの、何が悪いんでしょうか?「引用に当てはまらない」ということは、悪いことなんでしょうか?

「無断転載」の何が悪いの? : まだ東京で消耗してるの?


……この記事は2013年の7月に書かれたもので、現在は違う考え方をされているかも知れませんが、まあ、そもそもの思想的背景が全然違うのだな…という結論に至りました。

用法用量を守って静かに怒る。

色々と考えて、私の感情的な部分ですが、「当事者以外黙れ」という論法は、やはりおかしい。引用は別として、パクらないのが大前提なハズだし。以下は、先日に同様のテーマで書いていた記事のパクリに関して書いた部分の引用です。

ネット上のコンテンツにおいては無許可で転載し、事後承諾もしない行為だと思います。情報と実物を比較することは分かりやすいですが、つっこみも入りますが、分かりやすいので例を出すと…万引きの場合「盗みますよ」「いいよ♪」という応答をした場合、それは万引きとは言いませんわなー。

イケダハヤトさんの有料メルマガを全パクリする邪悪なマネタイズ・ビジネスアイデア。 - 団劇スデメキルヤ伝外超


許可や当事者間での確認がされていれば、何も問題はない。その辺りがうやむやに書かれているから、怒りの感情がわいてくる。この引用部に至ったのは、これまで紹介した記事を読んだ結果でした。

ただし、イケダハヤトさんの言う『著作権違反だ!と怒る人』の解釈にも、幅があり、対象に攻撃的な言及を繰り返したり、また、個人情報をネットに晒したり、罵倒したり、殺害予告など…『怒る人』という存在にも解釈の幅があることも、事実だと思います。そして、もちろん、それらの行為を肯定はできません。やりすぎだと思います。

おしまい。

怒りの感情を覚えた時に、それをそのまま発露すると、瞬間最大風速的な話題性は高まりますが、参考となる意見、自分の考えを肯定してくれる意見、自分の中でテキスト化されてなかったことを他の人の文章を確認することで、テキスト化していく。その中で問題意識を確認して、静かに怒るのも、また『ブログ』なんじゃないか?と思いました。

一週間もすれば、次の話題へとポンポンと進んでいくインターネットですが、じっくり考えるのも良いかも知れません。