大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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カジュアル・クズ、もしくはインターネットいじめっこ(粘着)世代の考察。

ネット上でのやりとりは、テキストのやりとりだから、徹底的におかしなことを書かない限り通じると思う。だから、文字としては理解していても、実は、根本的なところでは通じあってないのではないか?と思えた。

私がインターネットに触れ出したのは、高校生の時。最近の若人はスマホとかの関係で、当たり前のように焼酎学生の頃から、インターネッツ、2ちゃんねるとか、はてなブックマークとか、匿名ダイアリなどに触れているのじゃあないだろうか。

カジュアル・クズ。

最近、今日も得る物なしさんのダイアリとかブコメを見ていると「カジュアル・クズ」なんて言葉が出ていた。正しい言葉の定義は分からないけど、やりとりされている言葉や、印象から考えてみると…。

  1. ステータスとしての自称クズ。
  2. 覚えたての煽り芸、Dis等。
  3. なんでもDisるけど中心にある『正義』は見えない。

という感じだろうか。話題の争点となっていたIDのブックマークコメントを眺めたら、そのような印象を受けた。

Disと返し技の修練。

ただ、カジュアル・クズとは否定的な表現だけど、一つの『修練』のようなモノを感じた。粘着増田にも、似たモノを感じた。Disや煽りや罵倒は、熟考の末出てきたのか、脊髄反射的に行われるのかは想像するしかないが、例えば、2ちゃんねる等での書き込みで組手のように修練できると思う。最近は書き込んでないが、オープン2ちゃんねるなどで書き込んでいた時に、何度も苦渋を飲まされた。

色々と複雑に絡み合っているようで、何でもDisれる言葉ってのは、実は色々なパターンがあるように思える。一例を考えてみる。

  • プリントアウトして病院に行け。
  • 職場でバラまきたい。
  • 浅い考察、自分で書いた文章を読み直せ。
  • 長い。
  • 読んでない。
  • 無職は黙ってろ←。

パっと考えただけで、これくらいある。言葉の汎用性と、パターン認識を繰り返せれば、なんでのDisれると思う。それを増田で行えれば、粘着増田となれるだろう。

インターネットいじめっこ(粘着)の世代。

これは私の認識なのだが、同じWebサービスを使っている層のイメージは、自分自身の延長線上にあると思う。『学歴』は以前炎上した話題だけど、はてなブックマークの利用者は、大卒以上のイメージがある。もちろん、これはイメージであり実態は知らない。同じように男性ユーザーの方が多いのじゃないか?と思っている。

自分と似た層をイメージしていて、テキストでやりとりするから、少なくも書いている内容は理解できているという誤解があるならば、実は根っこの部分で全く通じあえてない可能性はあると思う。こんなことを考えていて、思い浮かんだのは滋賀県のいじめ殺人事件だった。

当時のニュースの詳細はうろ覚えだが、「蜂の死骸を口に含ませる」などの卑劣な攻撃があったように思える。違う事件かもしれないけど、服を脱がせて動画で撮影するとかあったと思う。いじめじゃあないが、公園の水飲み場を破壊した動画をユーチューブにアップする、とかもあったと思う。

それらの行為をニュースで読んで、良心の呵責はないのか?と思っていたが、以前、ブログで揉めた話題だけど、本来なら良心が痛むようなこと、人の苦痛に歪む表情などを悦とする脳というのが、先天的に存在する…なんてのをだいぶ前のニュースで読んでました。以下は、揉めた記事からの引用です。

100人に1人、一万人に1人は犯罪者になるという「犯罪脳」の方が、子どもの「いじめ殺人」に関しては、しっくり来るように思えます。私の脳がどんな脳なのかは分かりませんが、全く理解出来ない行動の持ち主は、脳の構造がそもそも違うなら、納得出来るように思えました。

社会やインターネットの影響を受けて子どもが子どもをいじめ殺すなら大人や社会にも責任はあると思うが…飛び越えている部分を感じる。 - 伝外超スデメキルヤ団劇

脳科学が発展途上の学問である、遺伝的な形質の違い等々の話題は大炎上に繋がる可能性があるので、脳には帰着させませんが、理解できているようで、全く通じ合えない存在がいじめ暴行殺人をする中学生だけじゃあなくて、インターネットにもいるのでは?と考えたのです。

インターネットいじめっこ。

私が増田を生涯使わないと現段階で決めている理由は、匿名で罵倒できる恐ろしい仕組みだから自分の心の弱さが暴走した時に歯止めがきかなくなる。誰かを本当に憎むときは、Facebookやツイッターの人々からドン引きされても、本人性の上でやるべきである。どうしようもない場合は、増田以外でやる、という感じです。

私が使わない理由など、粘着をしない人でも、取るに足らないと思う人もいると思います。ただ、この気持ちに全く共感してくれない人もいると思います。

後、インターネットで暴れている人は現実生活で憤っている。罵倒をしまくる人は、実生活で憤っている。ネットで発散することでバランスを取っている、とイメージしていたのですが、もっとぶっ飛んでいる人々もいるのじゃないか?と。

人気者が標的になりがちですが、人気者が自分の視界に入ることが許せない。嫉妬を嫉妬と感じないままに前述の訓練されたDisを繰り広げる。相手からの反撃は、むしろご褒美。相手の言及の反撃に時間を要しても、実際に殴り合いをする訳じゃあないから、新しい技を繰り出して論破する(論破できなくても反撃する)。最終的に相手がブックマークやブログを引退した時に、脳に最大限の『ご褒美』が与えられる。自殺に繋がるいじめ暴行事件のように、加害者に理解できないというラインが、実はインターネットにもあるのじゃないかな?と。何度も書いてますが、テキストのやりとりで相手の言葉は理解できるから、通じ合えてない部分は気付けない。

無敵の敵。

実際に、そういうインターネッターが存在するか分からないけど、粘着して誰かを潰すことに悦を覚えるIDや、その信奉者がいるとしたら、コンビニ店長をかつて追い込んだIDが、未だに生存しているとしたら、今後も同じ似たIDが現れて、どんどんと実績が増えていくなら、その無敵の存在に対して、どのように対峙すればいいのか?逃げるのが一番だろうか。

一つの答えは、少し前にid:netcraftさんが書かれていた以下の一文じゃあないかと思う。以下は(彼のことが大好き人間と勘違いされたり、この文章を引用するために文章を書き始めたと思われたら困るけど)引用です。

アンチも含めて全てのはてなユーザーを愛している。私は1人も非表示にしているユーザーはいない。

カオス属性とは博愛思想である - はてな村定点観測所

もっともだが、難しい。他に思い浮かんだのは、イケダハヤトさんは、炎上が起きたら、それを次の記事を書くパワーに変換する感情システムを持たれているらしい。それも難しい。

おしまい。

一つ前の記事は、いわゆるエアリプライ記事として書いてました。

だったら、記事の本文中でIDコールなどを行えばいいのだけど、こちらの記事の冒頭にも書いている通り、善意(少し違和感があるがこの言葉以外に思い浮かばなかった)を伝えるのは、距離感が難しいから、IDコールはしなかった。

貪欲にブコメにURLを記載したら、そこから本人が読んでくれたから、とても良かった。インターネットでの距離感は難しく、仮に相互お気に入りであったとしても、味方ではない。少し離れたところからの助言や、斜め上からのアドバイスと分かりにくいアドバイスが本当はありがたいけど、一番苦しい時は、それすらマイナスに働く時がある。『お気に入り』よりも強い結びつき『仲間』とかあったら良いと思う。

思い出してみれば、私が増田に粘着されたのは、ほんの少しの期間だったから、同じ目にあった人々の苦しみには程遠いかも知れないけど、もしも、同じ苦しみを味わっている人がいたら、せめて味方になろうと思う。

後、顔を知っている知り合いにはてなーがいたりしたら、本当に苦しくなった時は、ヘルプ!をメールで送ると、それだけで救われた。