一連のニュースを読んでみて。
- AKB握手会 メンバーら3人切りつけられけが 岩手 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140525/k10014712271000.html - [芸能][社会]人間爆弾。アイドルに恨みがあったのか?
- はてなブックマーク - AKBメンバーら握手会で刺される 岩手 NHKニュース
- 人がケガしたのに、AKB商法うんぬんの話が出るのが怖い。
- 殺傷事件で危惧されるAKBの握手会ビジネスモデルの終焉 : 市況かぶ全力2階建
- [芸能][社会]人が刺されたことをいたみ、ただ犯人に憤り、余裕がある人は犯人の背景を考えればいいのではないだろうか。ビジネスのことは、わけて考えたい。人の生命よりも尊重されるものって何だろうか。
- AKBの刃傷騒ぎが拡大したのでさすがに書いてみる: やまもといちろうBLOG(ブログ)
- [芸能][社会]ニュースによると、AKBには興味がなかったそうで、この記事はその前に書かれたのだな。そうなってくると、人の集まるイベントは全部、警備が必要になってくる。
考えることは一つ。
人生に絶望した人が他人を殺しにかかることを防ぐことはできるのか。
それができてないのが、現状だけど、昔からあるみたいだけど、その根っこみたいなのは、どこにあるのだろうか。
道徳的に考えると、自分の憤りを他者にぶつける、暴力を加えるのがダメだと分かる。刑法的に考えても、ダメなことも分かる。そして、その結果、自分の内面や憤りが解決しないこともわかっている。
でも、それに向かわせるモノは何なのだろうか?一つの絶望の執着として、犯罪して、裁判になって、刑務所入って、下手すりゃ死刑というのもあるかも知れない。その道筋をたどってしまう心理的なものもあるかも知れない。
警備強化などの話題があるけど、それも当然とした上で、社会の中から生まれる人間爆弾のような存在が、今後も生まれ続けたら、次は警備レベルが低いところで犯罪が起きないだろうか。だれでもいいなら、人が集まるところは全部危険かも知れない。
憤った人が、暴力憤りを発散できる方法。そもそも、憤らない生き方ってないものだろうか。一つの答えとして、宗教とか思い浮かぶけど、宗教って、そういうものじゃあないのかも知れない。