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人生に絶望した人が他人を殺しにかかることを防ぐことはできるのか。

一連のニュースを読んでみて。

考えることは一つ。

人生に絶望した人が他人を殺しにかかることを防ぐことはできるのか。

それができてないのが、現状だけど、昔からあるみたいだけど、その根っこみたいなのは、どこにあるのだろうか。

道徳的に考えると、自分の憤りを他者にぶつける、暴力を加えるのがダメだと分かる。刑法的に考えても、ダメなことも分かる。そして、その結果、自分の内面や憤りが解決しないこともわかっている。

でも、それに向かわせるモノは何なのだろうか?一つの絶望の執着として、犯罪して、裁判になって、刑務所入って、下手すりゃ死刑というのもあるかも知れない。その道筋をたどってしまう心理的なものもあるかも知れない。

警備強化などの話題があるけど、それも当然とした上で、社会の中から生まれる人間爆弾のような存在が、今後も生まれ続けたら、次は警備レベルが低いところで犯罪が起きないだろうか。だれでもいいなら、人が集まるところは全部危険かも知れない。

憤った人が、暴力憤りを発散できる方法。そもそも、憤らない生き方ってないものだろうか。一つの答えとして、宗教とか思い浮かぶけど、宗教って、そういうものじゃあないのかも知れない。