昨晩、以下のツイートが話題になっていた。燃えてた。
過労死とは最高・最善の死に方ではないだろうか?多くの人間はそれができないから、世俗のの中で苦しんでいる。⇒東京新聞:成果主義「死を招く」 残業代ゼロ制度なら:社会(TOKYO Web) http://t.co/ctAQUtA6Li
— たかぎあきなり (@akinari1975) 2014, 5月 24
内容はさることながら、コメントしているニュースの内容にもビックリ。そして、本人のプロフィールにもビックリ。それも、燃える要素になっていると思う。
炎上の研究。
炎上の場合は、賛否両論ある意見の片方が燃え上がるパターンがあるが、今回の場合はダイレクトに、感情的に「そんなわけあるか!」と思える内容だと思う。もちろん、ツイートの内容を前向きに解釈することもできる。
続くツイートを読むと、本人の言葉で内容が補間されていた。
@aroom308 ごぶさたしております。30代過ぎると、生きることへのエネルギーを痛感することがあります。もちろん、過労死、過労自死を強いられる社会は変えていかなければなりませんが、一方でエネルギーを使い切るくらいのことができれば、それは幸せだと思います。
— たかぎあきなり (@akinari1975) 2014, 5月 25
ただ、エネルギーを使い切る死、言い換えれば完全燃焼の結果による死、それは過労死とは表現されないと思える。
過労死とは最高・最善の死に方では絶対にない。
調べるのもバカバカしく思えるが、Wikipediaでは以下のように記述されている。
過労死(かろうし)とは、周囲からの暗黙の強制などにより長時間残業や休日なしの勤務を強いられる結果、精神的・肉体的負担で、労働者が脳溢血、心臓麻痺などで突然死することである。中略
厚生労働省のマニュアルによれば、「過労死とは過度な労働負担が誘因となって、高血圧や動脈硬化などの基礎疾患が悪化し、脳血管疾患や虚血性心疾患、急性心不全などを発症し、永久的労働不能または死に至った状態をいう」と定義されている[1]。
過労死 - Wikipedia
氏のツイートの内容は、引用部の内容を『エネルギーを使い切る』と捉えられているのだと思うが、私のイメージとは著しく異なる。そして、多くの人が違うと思ったから、ブックマーク等々のコメントが続いているのだと思われる。
舞台で死ねたら本望や…。
一応、私は演劇に関わっているから、こういう言葉を意識したことはある。最後の最後まで、舞台に立ち続ける。言葉の裏にあるのは、ピンピンコロリというか、健康のまま現役であり続けながら、生涯を閉じる直前まで芸能という仕事に関わり続けるということだと思う。
それに対して、過労死というのは、本人が望んでない労働状況により追い込まれ、そして、死に至ることを指すのだから、エネルギーを使い切るというより、エネルギーを生み出せなくなるという状況ではないだろうか。
おわり。
死んだ人はもちろん、その家族。周囲の人間。そして、その人に会ったことがなくても、同じ社会に生きる人間として心が痛くなることが多い事柄に対して『最高・最善』と言うのは、最大限に燃える理由なのじゃないだろうか。
言葉の意図はあったとしても、その肩書で、その考え方で大丈夫なんですか!?と思える。