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老害をなくしたい!国民人生定年法の制定~みんな等しく60歳が寿命、高福祉社会を目指して……。

「えーい!ちくしょう!老害老害うるせえ!国民の寿命は60歳に決める!さあ、国民投票だ!」

時の首相、馬延晋作は半ばキレ気味に国会で発表した。マノベノミクス第8の矢。解散総選挙と同時に国民投票が行われ、老人嫌いの若者の投票率が鰻登りになり、人類史で一番センセーショナルな法律、『国民人生定年法』が可決された。それと同時に、馬延晋作首相は国会にて割腹自殺をした。これにより、老人が組織や体制に対して負の影響を及ぼす『老害』と、そこから転じて、ムカつく爺(じじい)、婆(ばばあ)、主に爺を指す『老害』が日本社会から一掃されると期待された。

老害が社会に及ぼす悪影響は大きい。年金とか、医療費とか、なんか色々。既に生物的に生産を終えたライフステージを存続させることに何か意味があるのか?その小さな疑問を推し進めたのは、背景としての地球温暖化や、エネルギー危機等々の問題だった。

当然、老人達の反発が予想されたが、その反発は想像よりも穏やかで、予算されていた暴徒鎮圧費は10分の1も使われなかった。老害達は老人なのだから、行動力、体力に落ちるからである、と考察されたが、老害達も自分達の年上の世代を老害老害と非難していたから、因果応報、自業自得、そのことだけは理解できたのかも知れない。

かくして、2114年。10年の移行期間を経て、国民人生定年法は実際的な施行に至った。急に老人達が社会から消失(焼失)すると様々な分野で停滞、弊害が起きる。10年は知識や技術の移行、伝達期間として用意された。その10年で老人達は、自分の人生を振り返り、また、伝承することで、概ね満足そうに旅立っていった。


かくして僕は両親を失い。一人で住むには広すぎる実家の土地と家屋を手に入れた。人生定年法施行されると同時に、相続税なども引き上げられた関係で、思っていたよりは、現金などは手に入らなかった。僕は34歳。土地・建物を抜いた総資産、貯金は約1000万円。残りの人生は26年。どのようにして生きようか、この10年はそんなことを考えて、両親と残された時間を過ごしていた。結婚することもないし、死ぬまで独身、気が楽と言えば気が楽だ。

人生定年法に付随する法律、結婚年齢制限法により、男女とも結婚可能年齢は30歳までとされた。これは、成年まで養育されない子供が増えると、社会的な混乱を招くと予想されため制定された法律だ。移行期間の10年の間、ちょっとでも好きだった女性にはメールを送ってみたが、みんな婚活で忙しく返信はまるでなかった。ちょっと好きだけど、結婚とかは自信がない。そんなふわふわした気持ちに区切りをつけることができて良かった。働いても仕方がないので、仕事も辞めた。

僕に残された時間は26年。月にすると312ヶ月。1000万円を312で割ってみると、約3万2000円。ちょっと一生を過ごすには心もとない金額。僕は趣味でやっているブログアフィリエイトで月々5万円の収入があるから、月約8万円。どこか、家賃の安い南の方に住めば、月8万円で生活できたりしないだろうか。テレビでそういう特集も増えている。もしくは、体力がある間は、イベント会場設営等々の日雇いアルバイトや、もしくは、IT関係の在宅ワークなんかで糊口を凌ぎながら、何かITビジネスのような……。いや、家庭菜園レベルでも、農業などをして、食費等々を減らしていけば、もう少し、余裕が出るかも。もしも、引越しをするなら、この土地建物も売却すれば、数百万円くらいになるだろうか。もしも、体を壊しても基礎医療は無料になっているし、でも、健康を損なわないに越したことはない。節制を心がけよう。それと、最低限の保険として、スーパー年金60には加入しておこうか。いや、年金に入るよりも、もっとお得な……。

不思議なもので、自分の残された時間と、残された資金が明確になった方が、人生を前向きに捉えている感じがする。残す物は何もない。残す相手もいない。残したところで国に回収される。いや、兄や、兄の子供のところに行くのだろうか。詳しいことは分からないが、僕は僕の時間とお金を全て僕のために使うことを決めた。


僕が40歳になる頃。職業定年が50歳から55歳に引き上げられた。50歳からの5年間は、仕事の引継ぎなどに当てられる期間らしい。まぁ、フリーターの僕にはあまり関係のないことだった。僕が50歳になる頃。消費税がまた上がった。食費などは自給できているからあまり影響ないけど、どうしようかな、少し節約を心がけないといけないかも知れない。僕が59歳になる頃、一度は消えたと思った『老害』という言葉がまた復活していた。それは、主に50歳からの10年を指す言葉で、老人による社会や組織の弊害などは既に消失した社会において単に「ムカつく爺、婆」という意味で使われた。また、「死にかけ10」なる言葉も生まれたが、ようは、自分の20年、30年後を想像できない愚かな若者が使うスラングのようなモノで、かつて馬延晋作首相の心を掻きむしったような言葉の乱暴さは、そこには含まれてなかった。

そして、60歳を迎え、明日の、年度末の3月31日は国民寿命の日。僕は最後の家賃を払い終え、手元に残った金額は1300円と数十円。我ながら計画的に生きてきたと思う。余剰資産になりそうなお金は、宝くじやパチンコで浪費しておいた。残り約1300円。最後の晩餐には相応しい金額。3月30日は、最後の晩餐需要で高級レストランは数年単位で予約待ちらしい。予約が来る頃には、シェフが変わっていたりするらしい。僕は、近所の、最近は行ってなかった定食屋に行くことにした。何を食べるかは決めてある。トンカツ定食。なんだかんだで、生涯を通じて一番好きな食べ物だったかも知れない。

……のだが、店の前に行ってみると赤字で大きく『値上がり』と張り紙がされていた。トンカツは150円値上がりしていた。おいおい、マジかよ……自分の口から若者言葉が漏れたのが面白い。仕方がないので、最後にトンカツを食べたことを思い出しながら、チキンカツ定食を食べることにした。年下の店主は、僕の事情を知っているからか、コーヒーをサービスしてくれた。50歳を越えると、老人に優しくなる人が多い。最後に、人の優しさに触れることができて良かった。

かくして手元に残ったのは、200円。家に変える前に缶コーヒーを買い、お釣りは取らないで残した。家に帰って、布団に入れば、明日は死出の旅。何時まで起きて、何時に寝ようか。起きるのは何時にしようか。10時に市役所に行かないといけないのは確かだけど。ああ、もっと細かく考えておくべきだったかな、と思ったけど、布団を干しておいたのは良かった。布団は暖かで、そしてシーツと枕カバーの肌触りは非常に良かった。このままウトウトして、そのまま寝てしまうのが一番かも知れない。ああ、暖かい。お休みなさい。