大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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「真面目か!」と「とりあえず謝っとこか」の氾濫に危うさを感じてたり。

テレビを見ていると、お笑いにも、ボケとツッコミにも流行り廃りはあるように思うのですが、記事タイトルに書いたようなことを考えてました。

本懐とは違うかもしれませんが、以下の引用部分を読んで、そのことが、心の中で湧き上がってきたので、書いてみます。

笑いは、人生の苦しさを喜びに変えてくれるものだったと思うが、これは僕の勘違いだろうか。
お笑いが、苦手です。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

  • ブコメしたこと・確かに、面白さを無意識に強要している自分がいるような。

日本人の言語能力は平均的にアホになっている、もしくは、進化しているような気がします。「スマホ」や「アプリ」という言葉が氾濫しているけど、「アプリ」は何の略か?とか知らない人もいるかも知れないですし、反語的表現が伝わりにくくなっているとか、聞くと(読むと)。

ボケが持っている本来の意味、背景を理解しないまま使用されて、悪口みたいになってるのじゃないか…と思えます。その例を二つほどタイトルに入れました。

それぞれ考えてみますが、あくまで私の個人的な解釈なので、間違っているかもしれません。あと、氾濫しているかどうかは知りません。でも『老害』とかが「年寄りの嫌な人」とかに拡大解釈されていることを考えると、そんな雰囲気はあるのかも。

「真面目か!」の噛み砕き。

危惧するのは、自習時間に皆雑談している中、一人勉強していたら浴びせられるシーン。

そして、恐らくこのツッコミは「(お前は芸人だから人より破天荒に生きるべきなのに)真面目か!」という意味なのだと思います。だから(芸人なのに)貯金しているとか、(芸人なのに)飲み会よりも家庭を大事にする…というような、背後に職業イメージがあるはずです。おそらく。

その辺りを無視して使うと、本来の意図と外れたり、不真面目であることを肯定するような意図が出てきそうです。

「とりあえず謝っとこか」の噛み砕き。

これは、本来は謝るべき局面じゃあないのに、謝る…という場合に使われます。勿論、発している人々が芸人であることが前提だと思うのですが、恐らく言葉の裏に「個々が持つ内心の正義を超越して、謝れば上手くおさまることがある」という社会に対するシニカルさが含まれているのじゃないか?と思えます。

なので、発する方の人はそれを了解していないと(たぶん)面白さは生まれませんし、本当に理不尽な場合に使うと、かなりやばいです。笑いが起きるというカジュアルさに包まれて、本来必要のない謝罪とか、謝っている人が全然笑い的に美味しくない謝罪が生まれているのじゃないか?と思ったりしました。


…などと、書いてみましたが、現場に出くわした訳じゃあないので、想像の域を出ないのですが、「真面目か!」は、飛び交っている雰囲気を感じたりするのですが…想像です。想像でここまで危惧する自分は、おかしいと書いて気付きました。また、お会いしましょう。