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小学校の時に大好きだった先生が体罰していた・全てを憎むということ。

以下のニュースを読んでみて。

  • 練習中バットで尻たたく…バレー部体罰ほぼ毎日 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130921-OYT1T01010.htm
  • 善悪は別として、体罰を肯定する、擁護する層もあるのだなー(関わりたくない)。だけど、これまでの学校生活を思い出すと。

体罰はまったくなかった訳でもなかった。その辺りを思い出す。

小学校の時に大好きだった先生。

秘密基地を作っていた中で、放課後に、秘密基地を見に来てくれた。秘密の基地なのに授業中に話されたのは嫌だったけど。

ジャンプが好きな私としては、ジョジョを読んでいるというのは好印象だった。3部派だったから、当時は4部がやってて、さらに波紋に造詣がなかったのは残念だったけど。

毎日宿題があったのだけど、「なんでもいいから1ページ埋めて来い」というモノだった。一発ネタや、絵ネタ。漢字の書き取り…などなど。今思うと、あれはブログの原風景だし、その後の人生で『演劇』とか、『小説』に繋がったと思う。

ルックスもイケメンで、運動神経もよかったな。昇り棒に飛びついて、逆さまに昇っていくのはすごかった。

テレビは見ない派で、結婚されていて、息子さんの名前は「大きな器」とかだったかな…。

色々と、私の人生で、大きな影響を持った先生だった。今まで、関わった先生で、一番良いかも。

喫煙者だったかな。職員室に行くとタバコの途中とかあったかな。

体罰していた。

しかし、その先生を思い出すと同時に体罰も思い出す。覚えているのは「2件」。それ以外は覚えてないけど、「日常的な体罰」とかではなかった。と思う。

一人の児童が一番後ろの席(たぶん)で、ずっと私語を続けていて、突然、先生は教科書を壁にぶつけて、吼えた。そういうイメージがなかったから、ビックリした。

もう一つは、体育の準備運動の時にふざけていた児童が、前に呼び出されて、平手打ちを喰らっていた。

覚えているのは、その二件。明らかな体罰。受けていた人の気持ちは分からない。受けた人が、もう覚えてなくても、私は覚えている。

全てを憎むということ。

冒頭のニュースでも、擁護側の親もいるみたい。署名活動なんかをして。体罰を行使した人は、全員憎むべき。楽しい思い出も沢山ある先生に対して、「あいつはクソ野郎だった!地獄に落ちた後に100京年輪廻するな!」と打ち込むことは簡単だけど、心のどこかで、痛みのない違和感があるように思える。

記憶に残る二件の体罰で、全否定するには、「良い思い出」もある。だけど、「体罰は悪い」ということを大前提にして、「でも良い部分はあった」と考えるのは、擁護している人と変わらないのかも知れない。

体罰を肯定する、擁護する、と、否定的に考えている私には、何本も溝があるように思っていたけど、自分から、ちょっと埋めてみるのも大事かな、と思った。

あの先生に、もしも会ったら、聞いてみたらいいのかな。思い出だけ美化されていて、そんなに大した人でもない可能性もあるけど(そう考えると会いたくないな)。