大学院卒ニート、しやわせになりたい。

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自殺未遂の未遂の未遂ぐらいをした時の脳が冷えた感じを思い出す。

未遂の未遂の未遂。

どこまでが自殺未遂というのかは分からない。例えば、手首に刃物を押し当てた。血は出てない。タバコとウイスキーの水割りを作って少しだけ飲んだ。死んでない。ってのは、自殺未遂とは言えないのかも知れない。

だから、未遂の未遂と表現していたのだけど、本当は、未遂の未遂の未遂ぐらいかもしれない。だって、生きているんだから。


私の人生で、一番、自殺に精神的に近づいたのは、大学院を留年した時である。二度目の留年だっただろうか。その後は、半年休学した。

そもそも修士論文がうまく行ってない。というか、やってない。そもそも大学院に進んだことが能力不足であり、モラトリアムの延長だったことが、もともとの原因だったと思う。

学力が足りなくて、不勉強で、研究から逃避して、学会発表なども避けたことも、自分の実力の問題であり、教授とか学校を恨んでいる訳じゃあない。これは、本当に…。

二度目の留年が決まる前に、インフルエンザにかかった。「これはしかたないね。修士論文無理よね」と思っていたら、担当教授が家にまでやってきて、事情を説明した。教授としては「なんとかして卒業させよう」というつもりだったんだと思う。

だが、教授が家にやってくる。自分の怠慢が親にバレると思った私がやったのは、河原かどこかで拾ったナイフを上着の内ポケットに潜めて、話し合いの中で絶望したら、自刃しようと思っていた。

結局、話し合いの中で、そのようなタイミングはなかったが、教授が帰った後に、父親からの鬼のような叱責、怒号が飛んできた。

それも、学業を怠慢していた私には、当然の結果だったのかもしれない。絶望の中で、私はナイフを手首に押し当てた。母親は、それを必至で止めた。母親の目の前でやったのは、止めてほしかったのだと思う。

その後の父親とのやりとりは覚えてない。「俺、自殺したいわ!」、「知らん、勝手に死ね!」ぐらいのやりとりだったように思える。結果、私は手首を切って自殺することもなかったし、その時のナイフは行方不明である。母親が捨てたのだと思う。


話が前後したが、教授が家にやってくるという事実を知った時に、私は近所のタバコ屋の前にある灰皿から、タバコの吸い殻を集めにいった。それをモミモミして、葉の部分をペットボトルに入れて、水を入れて、飲みやすいようにウイスキーもいれた。水割りタバコの葉入りである。

それを飲み下したら死ぬかどうかは分からない。少しだけ、舐めるように飲んでみた。そんな量で死ぬわけがない。

今思えば、例えば、教授がやってくる前に、逃げれるところまで逃げるとか、なんとか、教授がやってこないように、工作する方法もあったと思う。なぜ、そのような発想にならなかったかは、分からない。

ただ、迫り来る。時間が経過すれば確実にやってくる絶望から、逃げられなかった。吸い殻を拾いに行ったのは、用意までしてみて、自分が決行できるか、試したかったのかも知れない。

ナイフを仕込んだのは、実行できるか試したかったのかもしれない。心が冷え、頭が冷え、そして、ナイフを押し当てた後の父親の罵声で、完全に頭が冷えたと思ったけど、結局、自殺することもなく、今もみっともなく生きている。

これは、自分が自殺未遂の未遂の未遂の、未遂ぐらいに至った時の心境だが、「殺意」が頭に沸き立った時に、頭の奥が冷えて行く感じがあった。具体的に何かを実行したわけでなく、「落ちて死ね」とか「旅先で死んで来い」とか、思う時がある。


このような頭、脳が冷えていく感じ、心が冷えていく感じ、時間と一緒に訪れる逃れられない絶望というものが、世の中の自殺や他殺に関わっているかどうかは分からない。

それは、私が経験したことのない感情なのかもしれないが、自分が一番自殺に近づいた時のことを思い出すと「脳が冷えていく」という表現が一番近いように思える。

あれから、あれほどに脳が冷えることはない。自分が死ぬよりも、相手が「死ね」とか「自殺しろ」と思うことが増えたからかもしれない。

ただ、このような文章を書いてみたのは、数年ぶりに「自分が自殺するかも」という気持ちが沸き立って来たからかもしれない。

助けてほしい。こんな文章を、わざわざブログに掲載しようというのは、そういう気持ちの現れだと思う。そして、リアルの私を知る人が、もしも読んだなら。

すまん。こんな文章を書いているけど、大丈夫だ。ただ、もしも読んでくれたら、幾ばくか心が救われる。