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中学校で不安だったこと「その他・身長や体重や学校行事の話題など」【ネットアンケートまとめ:6件】


中学校で不安・その他。

中学校で不安だったことを、ネットアンケートした結果をまとめておりましたが、今回でラストです。最後のテーマは「その他」。

今まで、色々な意見をまとめましたが、それらに分類されなかった内容です。それだけ、この記事は、バラエティに富んでいるかも、しれませんね。

ぽっちゃりした体型がいつまで続くのか不安でしたが、高校進学とともにスリムになりました。

中学校入学当時の私の身長は150センチ40キロと、小柄でありながら均一のとれたスタイルでした。もちろん体型など気にすることもなく学生生活を送っていました。
そんな私が、体型を気にするようになったのは中学2年生の頃です。
その頃の私はというと、食欲の爆発期とでもいえましょうか…食べても食べても満たされない!三食の食事は勿論、ケーキ、ジャンクフード、スナック菓子をどんどん口に運んでいく食欲旺盛な女の子になっていました。
学校から帰ってきたら夕飯の前には必ずおやつ。それもかなりの量を食べました。某ファーストフード店のハンバーガーセットなんて、ペロリと一瞬でたいらげるほどです。そして夕飯もご飯2膳は軽く食べていました。
そんな食生活を続けていると見る見る間に体重は50キロに!なんと10キロも増えたのです。
友人からも体型をからかわれ…ダイエットをしてみるものの、食欲に負け挫折。このままでは彼氏も出来ないし、おしゃれもできない。いつまでこの体型なのかと毎日本当に悩みました。学校に行くのも嫌になるくらい不安な毎日でした。
そしてぽっちゃりした体型のまま高校に進学。すると…食生活は変えていないにも関わらず、身長が158センチまで伸び、体重も48キロに。
今までの不安は吹き飛び、彼氏もでき、おしゃれも思う存分できるようになりました。
今思うと、あれは成長期だったからなんだ!と思います。思春期の不安は一時のもの。健康であるのが一番だな、と思い知らされた出来事でした。

中学生になった途端、身長の伸びが止まったけれど、他の事に夢中になりました。

小学校高学年に急に身長が伸びたけれど、中学生になった途端に身長の伸びがストップ。
人生おチビさんでいるのは、辛いなあとスポーツしたり、牛乳やチーズなどを飲んだりしたけれど結果、成果は出ず。
でも当時の担任の先生がいい先生で、悩んでいた私にアドバイスしてくれました。
人生、スタイルが全てではないし、この時期こそしっかり学問を学んで将来の可能性を広げるチャンスだよ、と言ってくれました。
その後も150CMに満たない身長で過ごしていますが、先生の言葉をきっかけに何事にも前向きにとらえるようにしています。
コンプレックスは消えませんが、それを上回る学問の知識や趣味、友人などの囲まれたらこれほどの楽しい人生はないと思っています。

運動会の競技で成功するかどうか

私が中学二年生の時、運動会で蛇の皮むきという腰にベルトなどを巻いて縦一列で行う競技をやることになりました。私は列の真ん中でベルトの代わりに布で行いましたが、前の人に引っ張られるので布から簡単に手が外れてしまいました。手が外れるとみんなが怪我をするし、時間ロスになるので、絶対に手を離さないようにと言われました。練習してもうまくできなかったので、不安になりました。体育館で練習した時は楽に出来るのですが、校庭で練習した時は、転んだりすると砂が口や目に入るので大変だったです。運動会当日は、布を手に何重にも巻いて、手が外れないようにしました。運動会は、誰も怪我することなく、自分も布から手が外れなくてよかったと思いました。練習の時につらくても結果を出せたのでうれしかったです。

ネイティブの先生に英語で話しかけるのが怖かった

当時,中学生だったとき,英語のネイティブの先生が教えに来られていました。英語しか話されず,いつもにこにこされておられましたが,こちらからどう意志を伝えていいかわからず,しどろもどろでしたし,おっかなびっくりという感じでした。マラソン大会のとき,友達が貧血で気分が悪くなり,途中で棄権しました。たまたま近くにいた先生が,心配そうに,どうしたの?と聞いてこられ,私も友人が心配でしたので,なんとか英語で「she felt dizzy」といったところ,先生に通じました。当たり前ですが,この成功体験がきっかけで,先生が大好きになり,英語をもっともっと勉強して,先生に伝えたいと思うようになり,英語の成績がぐんと伸びました。

初めて住む土地で何もかも不安だらけからのスタート 特に人になじめるのだろうか

小学校を卒業した後すぐに引っ越すことが決まっていたので、ただでさえそれまでとは環境も勉強のやり方も違う中学に上がるという不安に加えて色々な不安が生じました。
引っ越し先は同じ県内でしたが全然縁もゆかりもない町で知り合いも全くおらず、友達や知り合いが0からのスタートが1番の不安でした。
人見知りをする性格で、果たして周りとうまくやっていけるのだろうか、友達はできるのかと勉強より人間関係の方の心配のが大きかったです。
と言っても何か話さない事には友達もできず、勇気を出して少しずつ話すようにしたのですが方言の事でさんざん訛っていると言われ何も話したくなくなりました。
同じ県内なのに何でこんなに方言が違うんだろうと、嫌になってしまうほどでしたし、人間関係がうまく築けない一因がまさか方言になるとは予想もしませんでした。
その後も方言の違う土地で暮らしてきましたが方言について言われてもそれほど気にならなかったのでその頃は特にナーバスになっていたと思います。
しかし、そんな事をいつまでも気にしていても仕方ないですし、訛っていてもいいや、訛っていると言われてもいいやと開き直る事にしました。
もちろん一人だけ違う方言を話しているので周りは違和感があったと思いますが、悪い事をしている訳でもないですし無理に方言は隠さず直さず話す事にしました。
結局周りから何を言われても、それが悪い事をしていないという自負があれば自分が過剰に気にしなければ乗り越えられるものだなと実感しました。

不安が一変した、最後のコンクール

私は、中学校時代に吹奏楽部に所属していました。今回は最後の夏のコンクール前に感じた不安とその結果を書いてみようと思います。
中学校生活最後の行事は一段と気合いの入るもので、私にとって最後のコンクールはまさにそれでしたし、周りのメンバーも同じかそれ以上に感じていたと思います。また、どんな曲を最後に演奏するのか、先生は私たちにどんな曲に挑んでほしいと提案してくれるのだろうかという期待も抱いていました。
しかし、その期待はすぐに不安へと変わりました。それは演奏曲がすでに馴染みの曲であったからです。その曲は地域の高校生徒との合同演奏用にかねてから練習していたものであり、いつも先生がコンクール用にと選ぶ曲とはかけ離れすぎている印象を受けたからです。そして、その不安はさらに濃くなりました。それは当日、先生が指揮を振れないと口にしたからです。事情はおめでたい内容でしたが、複雑な思いでした。
「先生のためにも」というメンバーの言葉に、最初は気合いをいれて練習に取り組む毎日でしたが、やはり指揮者が違うというのは言葉に表せないほどに物足りなさがありました。というのも、その先生は本当に音楽が好きな人だったからです。毎回の練習の中には、「曲を感じていない」と激しく怒られたこともありました。納得のいかない音や表現のために、曲自体を演奏することがなく終わったこともありましたし、演奏のために何度も話し合いを重ねた日々もありました。そんな時間があってこそのそれまでの本番の舞台では、先輩たちが築き作り上げた演奏に、酔いしれている先生の姿があったのです。
だからこそ、そんな音楽が大好きな先生が最後の舞台で、いったいどんな表情で指揮を振るのかというのは、先生から卒業生に向けた最後のメッセージであり、それを受け取れないというのがなんとも噛み合わせの悪い思いでした。
しかし現実は、代わりの先生が目の前でリードしていて、なんとも真面目な先生が「マーチはマーチらしくキチッとした表現で」と、言わんばかりの固い指揮をとる毎日でした。
そして、残念なことに当日は不安なままにやってきました。
ガヤガヤと隣の人をつついてははにかんだりデレデレしたりと緊張を覗かせるメンバー、お揃いのアイテムをつけた右手や左手がそれぞれに中央に伸びて、部長の掛け声と共にひとつの大きな声となって響き渡ったホールの駐車場で、私はひとり、青い空にぽつぽつと浮かぶ白い雲を目にしました。それらの白い雲は小さいけれど浮かんでいて、存在を主張しているように見えました。そして私のこの不安は、客席にいるであろう先生にぶつける気持ちで演奏しよう、不安だけど私はこの曲を力強く演奏しよう、そう思う気持ちに変えたのでした。きっと、ひとつの大きなエールが、私の不安を空へと吹き飛ばしてくれたのかもしれません。
結果として私は、いちばん最後の舞台をまったく緊張することなく、集中し、ギラギラと燃えるような思いで挑むことができたのです。あれほどまでに長い間抱えていた不安でしたが、それを乗り越えるきっかけだったのかとしれないと思ういまです。