ハローワークで、労働基準法のパンフレットを読んでみると、残業時間とか、労働時間に関して「演劇業」は別枠になってます。知り合いの照明家は、どう考えても寝るスケジュールがない仕事とかある…とか言ってました。
あまり関係のない話題です。
蜷川幸雄の灰皿投げ、弁当投げという演出。
実は、蜷川幸雄さんの演劇はほとんどみたことないのですが、一応、演劇関係者の私としては、いろいろなエピソードを知ってます。
役者に灰皿を投げる。弁当を投げる。弁当を投げたのはいいけど、煮物の匂いが充満して、アンニュイな気持ちで、椎茸などを拾った…などなど。
学生演劇で、脚本とか演出とかもやっていた私ですが、弁当を投げたりしないですし、激高するようなこともなかったと思います。
しかし、パイセンの話を聞いていると、怒鳴りつけたり、本気でケンカ一歩手前まで行った…という話は聞きました。
まあ、私の場合は、言っても返ってこない役者は、適当に作品の足を引っ張らない程度に演技指導して、面白いやつをどんどん伸ばす…という方式だったので、数年ぶりに自分の卒業公演の映像をみると、出来がアンバランスすぎて笑えました。
話がそれましたが、「パワハラでは?」と思える演劇指導は、私はやりませんが、否定のできない部分があります。
演劇という世界の特殊性。
映画とか、ドラマとかもそうかもしれません。しかし、演劇はライブである以上、どうしても誤魔化しが聞かせにくいところはあります。ぱっと思いついた感じで…。
- 何十人も殺した殺人犯。
- 原爆投下のボタンを押した人。
- 両親を殺された人。
- 恋人を殺された人。
- 激しい差別を受けた人。
- 激しい差別をする人。
- 殺したいほど人を憎む人。
などなど、実際に役者が経験したことない事柄も、役として演じないといけません。もちろん、セリフを覚えて、衣装を来て、段取り通りやったら、演劇は完成するのですが、経験したことないことに、リアルを求めていくならば、基本的に完成のないことがらです。
蜷川幸雄さんが、ただの怒りん坊だった可能性はありますが、ただ弁当や灰皿が飛んでくる以上の葛藤を、舞台で表現するならば、そして、求めるモノに近づけるならば、弁当や灰皿が飛んでくるくらいなら、安いものかもしれません。
まあ、私はそういうのは、やるのも、やられるのも嫌なんですが、「人殺しをしたことないけど、人を殺した後の心境」などというのは、演劇に今より燃えていた時は考えたことでした。
以下のブログ記事を読んで考えたことでした。
気になったところの引用です。
結局のところ、プロセスはどうあれ、結果が出れば「正解」なのだろうか。
成功とは、興業としてや、また、社会的認知度、求められる演技……などなど、色んな側面がありそうです。演劇においての、役者と演出の間柄で考えると、少なくとも役者が納得していれば「正解」だとは思います。
……でも、それって運動部の体罰とかも、近いモノがあるかもしれないんだよなー。