大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

スポンサーリンク

斜め上から「普通」を封じるインターネットと「自殺してはいけない」という考えに至った背景と「軽々しくない」という【怒り】と今、死にそうな人。

はじめに。

それは、悪いことではないですが、最近は揉め事などが「はてな」で拡散しなくなりました。id:nuryougudaは、はてなの中では有名なアカウントですが、私が無名すぎたのかもしれません。

また、ほぼ一週間「自殺」の話題を書き続けてしまいました。このエントリがラストの予定です。

斜め上から「普通」を封じるインターネット。

インターネットにおいては、何かを否定する意見が集まる傾向があります。私が、「自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない」というエントリを書くと、それに対する否定的な意見が、少しですが、来ました。以下に紹介します。

自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

人を巻き込むのはダメってところはいいとして、自殺してほしくないならまだわかるが、自殺してはいけないっていうのは関係ない人間のエゴなように思う

2015/07/04 23:30

id:hatibuhaikerより。「エゴ」という言葉は、とても効果的に何かの意見を封殺します。世の中には、エゴだとしても発するべきことはあると思います。

自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

なんで死んだかなんて知る由もないけど、止まれぬ理由があって選ばされた道だとしたら「してはいけない」なんて詭弁は死体蹴りでしかない。

2015/07/04 19:59

id:hungchangより。死体蹴りではないという反論は既にしました。詭弁も効果的な言葉です。詭弁と言って、切り捨てることもできますが、切り捨てるべきじゃあない部分もあると思います。


以下は、nuryougudaのエントリの中からの引用です。

「自殺してはいけない」という「禁止」のニュアンスを多く持つ言い方は好きではない。自殺してはいけないと禁止されているが、自殺は実際にある。

新幹線焼死事件に見る。自爆テロへの向き合い方は社会的アサーションである - 旧玖足手帖-日記帳-

「自殺してはいけない」とか「人を巻き込んではいけない」と言うのは個人的な意見としては、自殺や殺人を禁止するほどの効力のある意見だとは思えない。なぜならそれらは実在するからだ。


「好きではない」というのは感情であり、それに理由をつけている印象があります。また、「効力のある意見だとは思えない」と書く一方で、WHOなどの指針などは否定しています。それは、nuryougudaの絶望の深さ、私からは想像もできない苦しさなどを考慮して、決して否定できるものじゃあないと思います。

また、nuryougudaに限らず知らない誰かを助けることや、世の中全体の自殺などを減らすことに無関心であることは、責められるものではないと思います。


これらの意見を踏まえて。私も、以前は似た考えをしてました。少し話題がずれますが、高校時代に同和教育の授業でディスカッションがあり、「こんな時間を設けても、みんなその時だけ、それっぽい顔をして真面目な顔をするだけで、こんな授業には意味が無い」とか言った記憶があります。その時は、本気でしたが、斜め上からの意見だったと思います。

インターネット。特にブログやツイッターなどの発信するメディアは、誰かの意見を否定したり、斜め上をとろうとして積み重なっていく場合があります。

私が「自殺してはいけない」というエントリを発信した結果、以下のように言及が始まりました。否定の積み重ねです。

  1. 自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。 - 団劇スデメキルヤ伝外超
  2. ワタミとは私たちである。あるいは、そんな言い方はないだろうという話 - 殴る壁
  3. 自殺してはいけないという言葉は自殺者の【死体蹴り】ではないし、社会(見知らぬ他人)を巻き込むことは等価交換ではない。 - 団劇スデメキルヤ伝外超※ここで止まっている。

新幹線での焼身自殺をテーマにしているのに、ワタミの話題が出ていたり、「巻き込まれて死んだ人が可哀想だから、今回は自殺者を慮ることができない」という話題には、触れない感じです。基本的に否定からスタートすると考えれば、共感以前の問題だったのでしょう。

ただし、この言及の中で『「社会の責任」という言葉も、関係者を蹴りつける可能性がある』という考えに至ったのは、ありがたいことではあります。


私自身も斜め上をとったり、否定することがとても多かったので、考えを改めて、シンプルな意見を発信したくなりました。自分の中で、意味や理由、知識による補間などをする前に。この言葉の先の、エゴだとか、効力だとか、死体蹴りだとかは、きっと言及した人の心の鏡なんだと思います。

否定が基本のインターネットにおいても、「自殺してはいけない」「だが、それは効力を発揮しない場合もある」「ではどうすればいいか?」というプラス方向の言及も期待した部分がありました。それは、とても、難しいことですが。

インターネットにおいては、あたりまえや普通、平易な言葉で書かれた文章は、特に否定される印象があります。半匿名で行われるインターネットにおいては【知識】こそが武器だと思います。専門用語や(小中学生がすぐには分からないだろうというぐらいの程度で)難解な語彙を駆使するブロガーは、特に、その傾向を感じます。

きっと、これからもそういうインターネットは続くと思いますが、「普通」に共感する雰囲気も、徐々に『はてな』にも広がっているように思います。

余談・意見の否定を攻撃的に変える人。

自分のエントリへのブックマークコメントは、基本的に読んでいます。私の書いたことに、賛同してくれている、少なくとも否定してない意見もあったのですが、そのブコメにIDコールを狙い撃ちで、罵倒して、最終的に消している人がいました。

明らかな攻撃だと思いましたし、そのような行為もまた、普通の発信を妨げるものだと思います。消えるとは思わなかったので、コメントの保管もしてなかったのですが、侮蔑の意味を込めて【自殺天狗】あるいは、【繊細天狗】と呼ぶことにしました。

意見は否定しませんが、他者の意見の否定を攻撃に変えることは、肯定できません。ただし、私も、分野が違えば似たことをする可能性は100%です。きっと、似たことを既にやっていますが。今後は、やらないように気をつけます。

「自殺してはいけない」という考えに至った背景。

自殺してはいけないし、人を巻き込んではいけない。このシンプルな言葉に至ったのには、私の人生の経験も関係あります。普通の意見を発しているから、人生において、自殺とは関係なかった。浅はかな軽々しい意見だと思うのは、それは先入観です。

そして、自分の母親の死をブログに書く人がいる一方で、肉親の死じゃなくても、書かない人はたくさんいます。書くのは自由ですが、みだりに書くべきではないと思う人がいるのも事実です。


しかし、「自殺してはいけない」という言葉は、私が忘れることのできない大切な人の「自殺」を経て、行き着いた答えです。少しだけ、その人達のことを書いてみます。一人は、かつて一緒に演劇をした女性でした。同じサークルとかではなく、他大学の人です。私は、その人のことが少し好きでした。自分で企画した演劇にゲストで出演してもらいました。数年後、別の知り合いとお酒を飲んでいる時に、彼女の近況を聞いてみると、自殺の事実を知りました。とても明るい人だったので、意外でした。一緒にお芝居をしてから、かなり時間が経過していたので、現実感がなかったです。

一人は、両親の知り合いの人です。その人は、社会に殺されたと言えるかも知れません。また、私の両親や、その息子である私は「頑張れば止めることができた」かもしれない自殺です。両親が、お金を貸さなければ良かった。私が止めれば良かった。新しい事業の、せめてお客さんさんになれば良かった。仕事やお金にまつまるのは、社会に殺されたと言えるかもしれません。

私本人が「止めることができた自殺」もありました。同じ職場の、かなり年上の先輩です。私が、「自分のやりたいこともできないし、嫌なことを押し付けられて、下手すりゃ死ぬ」と思って、仕事をやめた理由となった死でした。同じ会社で起きたことで、私もその人を追い詰めた一人でした。私が、その事実にある程度距離を置けているのは、もっと追い詰めた人が、他にもたくさんいたからです。


「自殺してはいけない」というシンプルな言葉には、書いてはないですが、三人の死が関わっています。自殺に限らず、これまでの人生で起きた色々な死を踏まえて、私の人生はできています。

文字情報でしかやりとりされないインターネットにおいて、書いてないことは、相手の知らないことなので、仕方がないことですが、それでも、侮られることには怒りを覚えます。

もしも、この文章を読まれたら、もしかしたらそれは、常識かもしれませんが、「話してなくても、みんな、誰かの死を受け止めて生きている」と思ってみてください。そうすると、簡単な言葉の裏を別の解釈ができるかもしれません。

「軽々しくない」という【怒り】。

これまで色々なエントリを書いていたのですが、最初の気持ちを振り返ってみると、以下の一文に怒りを覚えていたからです。

軽々しくみんな「死ぬな」って言うけど、僕の母親のように生きることが出来なくて死ぬ人はいる。

新幹線焼死事件に見る。日本に社会はない。世間体が在るだけ - 旧玖足手帖-日記帳-


正直言うと、私の人生にも自殺が関係していても、母親が自殺したというnuryougudaの経験には、ふさわしくない言葉ですが、敵わないと思っていました。例えば、もしも「自殺してはいけない」とnuryougudaが発すると、立場の違いにより、私に集まったような否定的な意見は集まらないでしょう。なぜならば、よりハードの経験からは説得力が生まれるからです。

なので、本来ならば、相手の立場を尊重して、反論をすべきではなかったと思うのですが、私は相手の無理解による決め付けや、侮りや、自分の考えを不当に貶められることを嫌います。もちろん、私の人生の死にまつわる部分は書いてなかったので、知らないからこそ、「軽々しい」と偏見を持った捉え方をされるのは、仕方ないとは、思います。

しかし、nuryougudaの続く言及記事は、私の文章をすべてを悪意を持って曲解し、それが本当にそう思っていてたとしても、怒りの限界を超えました。理由は後付ですが、自死遺族という立場から相手の人生を軽々しく軽んじるのは、自分の辛い境遇を利用した相手の意見の封じ込めや、攻撃的言及を繰り返し勝利した増長の結果だと思いました。それは、私の中では【悪】です。

実際、nuryougudaは「はてな」において、不遇な人生という意味では、かなりのトップポジションにいると思います。以下の一連のエントリを思い出しました。


この時は自分に及んでなかったので気づかなかったのですが、nuryougudaは、同じ苦しみや絶望を持つ相手に対して、実際そうなのでしょうが、より苦しい立場として、攻撃的言及を加える性癖があるみたいです。私とnuryougudaは、かつて同じ演劇サークルにいて、会って話した知り合いなので、そのような攻撃対象にはならないと思ってました。それが、油断でした。 三沢文也 (id:TM2501) さんが、どんな心境だったか、今は少しは分かるかもしれません。※急なIDコールで驚かせてすみません。


怒りを覚えた私は、自分の怒りを同じ分だけは、相手を懲らしめたいと思って言及を続けてました。しかし、私の数倍は人生に絶望しているnuryougudaを文章により追い詰めると、死ぬのじゃないか?とハラハラしながら、文章を書き、公開して、夜もなかなか眠れませんでした。

それも、24時間、一週間も続くわけもなく、最終的に、「おいおい、知り合いを文章で殺そうとしてどうするよ」という気持ちに至りました。それは、次に紹介するエントリを読んだからです。

今、死にそうな人。

昨晩、まったくの偶然でtenku (id:cdr65820) から、以下のエントリにIDコールをもらいました。

@yavashiに関する名誉回復告知及び事情説明 - 考えたことについて書いていく

正直、詳しい経緯が分からないですが、労働問題や訴訟?などの結果において、要求額が原告が求める金額になったら、id:cyberglassは「首を吊る」かもしれないそうです。それが、ネタか本気かは、この記事からだけは、分からないですが。

ここ数年の「株式会社参謀本部」を巡る動きを見ていると、はてなブックマークオフ会とか言って、仲が良さそうだった人々が、泥沼化の争いをしており、もうインターネットの「揉め事」としてのエンターテイメント性は失われた状態にあると思いました。

nuryougudaに対して、私が激しい怒りを覚えたのは、価値観や立場の違いかもありますが、些細な言葉の行き違いでもあります。しかし、tenkuから知らされた記事は、それらを飛び越えた悲惨な人間関係でした。tenkuには、まるでその意図はなかったのでしょうが、エントリを読んで「おいおい、知り合いを文章で殺そうとしてどうするよ」と思いました。同時に、心が救われた気がします。ありがとうございます。


話は変わりますが、cyberglassの生死がお金にも委ねられているなら、法律や税制上のルールは分からないですが、カンパや寄付でも募ったらいいのじゃないか?と思いました。

その金額が3000万円なのか、1億円なのか、もっと上なのかは分かりませんが。仮に3000万円だとしたら、3000円を1万人。1億円なら1万円を1万人。「自死は社会に殺された結果」という話題も出てきましたが、もしかしたら、お金が集まるだけで死なない人が、今いるかも知れない。

もっとも、私が3000円をいきなり振り込んでも、牛丼とかカラースターになるだけでしょうから、一人ではやりませんが、賠償金(?)のクラウドファンディングなどが行われたら、3000円くらいなら、何の見返りもなく払ってよい金額です。まあ、会社経営など知らない青二才の意見で、現場はもっと洒落にならない修羅場なのかもしれませんが。

2015/07/12追記

斜め上から「普通」を封じるインターネットと「自殺してはいけない」という考えに至った背景と「軽々しくない」という【怒り】と今、死にそうな人。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

既に記事にも書いてるけど、僕が請求してるのは合計で三十万円弱。それで「首を吊る」とか言われてるわけ。桁を勘違いしすぎているし調査不足だし、誤解を広めるような言及をするな。

2015/07/12 20:05

既に記事にも書いてるけど、僕が請求してるのは合計で三十万円弱。それで「首を吊る」とか言われてるわけ。桁を勘違いしすぎているし調査不足だし、誤解を広めるような言及をするな。

id:Rlee1984 すみません。 tenku (id:cdr65820) からIDコールを受けたエントリに金額が書かれてなかったので、「自殺」や「会社」ということがらで、1000万円単位の事案だと思いました。本文に30万円弱と追記しておきます。

2015/07/12 20:10

知らなかったとは言え、ものすごい勘違いをしていたようです。すみませんでした。30万円なら、3000円を100人ですが、本人でなんとかできる金額ですね。


話は最後に大きくそれましたが、私のnuryougudaへの言及はこれで最後とします。相手から、再言及があれば応えるかもしれませんが、場所を変えるかも知れないです。怒りにかられて言及することは、しないようにします。自戒の意味をこめて。

おわりに。

私の人生を無遠慮に貶めることは、誰であっても許さない。しかし、最初に感じた怒りを隠して、冷静になろうとして、最終的に爆発し、恨みの炎を発し続けるならば、炎が大きくなる前に相手にシンプルに怒りをぶつければよかったのだと思います。

かなり怒りが膨れ上がった時点で、増長した結果、私を不当に貶めた事実への謝罪をnuryougudaに求めています。自分が悪いことをしたと思わないと謝らないクソ野郎は政治家にもたくさんいるので、「自分が意図せぬことで相手を傷つけていた」という部分を謝るか、謝らないかは、nuryougudaに任せます。

また、自分の中の激しい怒りが一段落すれば、真面目な話で、ネットスラングを使うのは好きじゃあないのですが、絶望や自殺、憤り、精神障害などを司る【天狗】が私のブログにやってきて、荒らして、風とともに消え去ったと考えれば、少しも気が紛れました。本当に天狗だとしたら、御利益があるかもしれない。

nuryougudaに浴びせた言葉と、浴びせられた言葉は、会って話す間柄のそれを越えていたと思います。また、近年は数年に一度ぐらいしか会ってなかったので、この間に会ったのが最後ってことで、お互いが納得できると思います。まあ、会えるはてなーというのは、貴重で、お互いアフィリエイトをしている貧乏なので、「京都はてなブログ研究会」でも立ち上げて、年に数回焼き肉を食べたら面白そう…とか思っていたのですが、お蔵入りです。

もしも、時間をおいて、こちらからも謝罪して、焼き肉でも食べることができるならば。私の怒りや憤りは、彼に全く伝わっておらず、私だけが一週間発狂していた可能性もありますが、まあ、怒りや、絶望、憤りにおいても、彼の方が上なので、それは仕方ないでしょう。そして、私は、彼から作り出した【自死遺族様】という化け物と戦っていたのかもしれない。私の怒りは、誰にも伝わってなかったのかも知れないし、だとしても、このエントリで最後にします。

私信的な部分も多いですが、思うことや、私に向かって何かあれば、はてなブックマークコメントを頂ければ幸いです。それだけで、私は救われます。