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モラハラ夫は死ぬべき!モラル・ハラスメントは絶対に許さない!暴力も辞さず、休日はデモ行進したい!

はてなブックマークなどで大拡散してもらえると幸いです。高橋ジョージ氏と三船美佳さんの離婚報道がされていて、モラル・ハラスメントが話題になって、世の中の男性は肩身の狭い思いをされているのじゃないかと思います。「文句があるなら出て行け」、「オレが稼いだ金だ」が口癖の父親も、バツの悪そうな顔をして、テレビを見てました。茶の間も変な雰囲気に…。

渦中にいる人に対して「夫のしんどいんやで」と言葉をかけることは、今の世の中では、それだけで地雷を踏む雰囲気がありそうですし、相手の背景や心情を理解することはできても、気持ちの問題で歩み寄るのは難しい。

そもそも、私は男なので可能性の意味でモラハラ夫になりかねない。また、独身で結婚したこともない。だけど、モラル・ハラスメントという問題は、いじめ問題、インターネットにおける炎上、セクハラ、パワハラ、いろいろな問題と根が同じ部分があるのじゃないか?と思い、何かの役に立つのじゃないか…と『想像』を書き連ねてみます。

根っこにあるのは「本人は悪いと思っていない」じゃあないかと思ったのです。

では、「本人は悪いと思っていない」と至る背景や思想というのは、どういうものか?モラハラ夫は心のビョーキですと、切り捨てることもできますが、そこに至る部分を考えてみます。そして、それは先述のいじめ問題等々にも通じる部分はあると思います。

自分の父親もモラハラ夫だった。

自分の近しい人がやっていたことを「普通」と考えてしまう人はいると思います。多くの場合は、世の中に出て色んな人と触れ合う中で、仮に自分の家族がそうだったとしても、間違ったことは間違ったことだと気付きそうなモノですが、そうじゃない人もいると思います。

「自分の家ではそうだった」ということを、絶対的に正しいと信じている可能性はあると思います。仮に、母親は父親から度重なる叱責を受けていた、夫婦はそういうものだ……という価値観が結婚しても揺るがなかった場合は、不幸が起きるかもしれません。

自分もモラハラを受けている。

仮に、潜在的な夫婦間のモラハラ思想が根付いていたとしても、精神的な鬱積が発生しなかったとしたら、それを妻へのモラハラとして発散する必要もない訳です。高橋ジョージ氏が、仕事や社会生活の中でどのようなストレスがあったのかは、私には想像は難しいです。しかし、一般男性ならば、会社でモラハラを受けたりとかは、よく起きていることかも知れません。その会社の上司なども、モラハラを受けていたとしたら、まさにモラハラ地獄になるのかも知れません。

テレビを見ていると、夜回り先生で有名な水谷氏が「男は、社会に出ると辛いことがある。分かって欲しい。」などと、まさに地雷を踏みそうになってましたが、仮に、会社や社会で辛さがあったとしても、それを妻へのモラハラと表現しなくてもよいでしょう。妻の人格を否定しなくても、「会社がしんどいんだ!」と声を上げられない部分に、自分の中の理想化された男性像や、もしくは、会社や上司への従属精神があるとするならば、そこには別の精神地獄があるように思えます。


モラハラを悪いことだと思わない。

少しだけ視点を変えて。いじめ問題などを考えた時に、致命的に「相手の気持ちが分からない」という問題も同時に起きます。先述の家庭環境や社会環境などと同時に起きていることかも知れないですが、あまりよくないですが、いろいろなことのセーフラインを「自分」でレベルを合わせていることはあると思います。極端な例を考えると、自分は殴られても平気な人は、他の人を殴るのです。

多くの人は「自分は大丈夫でも、他の人はつらい」ということが理解できていて、相手のレベルにあわせたり、セーフラインを下げたりするはずです。しかし、「自分は大丈夫」とか「自分もそうだった」という考えが氾濫した時に、モラハラの悲劇が起きるように思えます。これは、運動部における体罰などにも通じる部分があるかも知れません。自分も体罰は平気だった。だから、今の生徒も体罰に耐えるべき…というような考えです。

モラハラ夫は、自分が同じことを言われても平気である。もしくは、平気じゃあなくても、反撃を行える精神性を持っている。だけど、弱い人の気持ちを理解できない。

相手の辛さを理解できない。

これは、モラハラに限らずすべてのハラスメントに言えるかも知れません。これまで考えて書いたことに重複する部分は多いですが、モラハラ発言や行動をした時に、相手の辛さが理解できなければ、言動や行動の改善にも至らない訳です。そこから更に一歩進んで、相手の苦痛を悦と感じてしまう精神構造が存在するみたいですが、それは、極端すぎる例で、高橋ジョージ氏も流石にそうじゃあないと思うので、これ以上の言及は避けます。

また、理解できないの背景として「自分が絶対的に正しい」という思考もあるかも知れません。そういう考えの背景がどのようなものかは、私には想像も難しいですが、自分の行動を全面的に肯定する人ならば、モラハラだって間違ったことだと思わないのかも知れません。これも、極端な例かもしれません。

自分以外の人の辛さはどのように理解するのか?繊細な人ほど、相手の表情や感情の機微を読み取ることに長けているかも知れません。しかし、鈍感だとしても、同じような事例に触れた時に、同じことは他の人にしないようにする。また、自分が平気でも、他の人は無理かも知れない。自分が絶対的に正しい訳じゃあない。そういう考えを心がけるだけで、モラハラ地獄に陥る可能性は少ないのじゃないか?と思いました。

おわり。

私は、そもそも結婚する可能性が低そうなので、モラハラ夫になる可能性は少なそうですが、もしも結婚したとして、ストレスをモラハラという形で伴侶に向けそうになったら、モラハラじゃあなくて「しんどいんだ!」というように声をあげようと思います。もしも、その時に伴侶がそれを許さなかったら、別の地獄が生まれそうですが、それは、そのときに考えるようにします。

もちろん、結婚した後のことなので、可能性は低いのですが…。モラハラ中の夫は、きっと、この文章を読むこともないでしょうが…。この文章がモラハラに苦しむ女性の何かの参考になることと、モラハラ予備軍の男性への啓蒙になることを信じて。それでは、また、お会いしましょう。はてなブックマークなどで大拡散してもらえると幸いです。