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人を殺してはいけない理由と最大多数の最大幸福のために仕事として命を奪うこと。

以下の記事を読みまして。


こちらのエントリの動機は、今世の中で起きている痛ましい事件なのだと思います。テレビを見ていて思ったのは、加害者の方に歩み寄って考えるのは、とても難しいのじゃないか?と思いました。

それはこの記事では掘り下げませんが、ブックマークコメントしていたことを掘り下げてみます。

人を殺してはいけない理由。

心情をメインで考えると「悲しむ人がいる」から。世の中のルールで考えると「犯罪である」から。そして、ルールの中で人を殺すと重い罪になるのは、殺人を抑制するためでしょう。飲酒運転などは、罪が重くなってから減っていると聞きます。

ただ、これらのルールの中では、国家が行う「死刑」や、戦争になった時に敵国の兵士を殺す行為は、先述の人を殺してはいけない理由では説明できないと思います。

だから、一括で答えを出すのは難しく、場合を分けて考える必要があると思います。道義的に、法律的に人を殺してはいけない理由は、一般的な平常時において、適用されると思います。

また、「人を殺す」と「殺人」と「命を奪う」というのは、結果は同じでもニュアンスが少しずつ違う…と思いました。

最大多数の最大幸福のため。

「人を殺してはいけない」が適用されないのは、対象の命を奪うことで、最大幸福が達成される場合だと思います。私は死刑廃止論者じゃあなかったのですが、昨今の冤罪事件などを考えると、死刑制度が存在していることでの抑止効果を100%信用することはできなくなったのですが、死刑が存在していることは、体感することは難しいですが、抑止効果があります。

実際に死刑判決に至る事件が起きているのと、執行されている事実は、多くの人を思い留めているでしょう。なので、死刑を国家による「殺人」と考える場合(私はこの表現を好みませんが)、死刑制度があり、執行されていることが、凶悪事件を未然に防ぎ、それにより多くの人が守られていると考えれば、最大幸福のために命を奪うことが行われているのだと思います。

戦争の場合。

戦争が起きている状態は、戦後に生まれた私としては経験したことのないことで、かなり異常な自体だと思います。また、自衛隊の現在の活動や、集団的自衛権のあれこれで、今後どのようになっていくか分かりません。

日本の場合は、状況が難しいので「戦争」を一般的に考えてみると、自国の利益だったり、もしくは侵略してくる脅威に対抗するために、戦闘要員の命を奪うことは、戦争の中で肯定されているのだと思います。

「人を殺してはいけない」と言う言葉と同じニュアンスで、子供に説明するように表現してみると「自国や自国民を守るために、敵国の兵隊は殺してよい」という感じでしょうか。ちなみに、私は戦争反対の立場です。

昨今の戦争において、非戦闘員が巻き込まれているのは、本来的に間違っていることのはずですが、それを裁く高等な立場はないので、批判はされても、野放しになっているように思えます。

仕事で命を奪う。

前述のように死刑と戦争が「人を殺してもよい」例だと考えましたが、別の観点で考えると『仕事』で命を奪い行為だと思いました。死刑に関わる人々は、それが仕事であり、戦闘行為を行う軍隊も仕事である。つまりは、それは公に認められている、という意味だと思います。

同様のテーマで参考になった記事の引用。

この記事を書く前に、2つほど記事を読みました。その参考になった部分を引用して紹介します。

戦争は国と国のシステム同士の争い。
かつては「騎士同士が戦う」などルールがあったのに、近代兵器や大量殺戮兵器によって兵士以外まで被害にあうようになった。

「人を殺していい」社会は瓦解する - あざなえるなわのごとし

非戦闘員が巻き込まれるのは、兵器の進化…とのことですが、Wikipediaを読んでみると、以下のような一文がありました。

非戦闘員とは降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、衛生要員、宗教要員、文民であり、これを攻撃することは禁止されている。非戦闘員は保護対象であり、これを無視して危害を加えることは戦争犯罪である。

戦時国際法 - Wikipedia

こういうのは、無視されまくっているのかも知れません。


以下は、もう一つの記事からの引用です。

もしかしたら、「『世の中、そう決まってるんだ!』と激怒し、そんな子どもはぶん殴る」みたいなのが、いちばん正解に近いのではなかろうか。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」への処方箋 - いつか電池がきれるまで

これは「もっともだ」と思いました。もしも、「死刑は?戦争は?」とか聞いて来たら、うるさい!って一括するのもアリな気がします。考えることが無駄だと思いませんが、深く考えないでズバっと答えを出すのも大事かな、と思いました。

余談。

「人を殺す」を考えましたが、例外として、いわゆる「カルネアデスの板」と「自殺」も考えました。前者は極限状態においては、殺人が罪にならないという例です。

また「人」の中に「自分」も含まれると考えると「自殺」も同様に考えないといけないと思いました。何故、自殺をしてはいけないのか?悲しむ人がいるから?最大幸福に反するから?自殺って犯罪になるのか?って調べてみましたが、ヤフー知恵袋が出てきて読んでみましたが、よく分かりませんでした。

悲しむ人がいる…というのは、悲しむ人がいなかったら自殺していいのか?と言えばそうじゃないですし。


この話題自体が、ちょっとブームが去ってますが、こんな風に考えてました。