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「的はずれ」という批判(Dis)の汎用性と共感力(攻撃力)、粘着増田から。

以下の記事を読み増田。消えとりますた。

  • 増田から見たブコメの加害性
  • ブッコメークしたこと[増田][性]どれだけ人気者IDとは言え、一般人。叩くなら、社会や政治家でどうだろうか。ルサンチマンが定常化してしまって、上手く庶民の感情までコントロールされてたりして。

もう消えちゃっているけど、この記事には「的はずれ」という言葉が使われていたから、それに関して軽く。

「的はずれ」という批判(Dis)の汎用性。

一つの事柄に対して絶対的な意見はないと思う。意見などをブコメで発信する人は、よっぽどの正義がない限り、揺れている。その揺れの部分は、100文字の中では表現できないかも知れない。

少し、意見のようなモノを並べてみる。

  • 黒子のバスケは、バスケットボールに「能力者」を登場させたことでスラムダンクを超えた作品である。
  • 集団的自衛権が容認されたら、次は徴兵制になる。
  • 号泣県議叩きは、テレビもグルになった弱いものいじめである。

ちょっと極端な意見だけど、どれもが「的はずれ」と一言で批判できそうである。

共感力。

右翼、左翼なんてのは極端な例だけど、いろんな考えは、どこかで揺れている。だから、的はずれと表現してしまえば、反対意見の人や、違和感を感じた人、意見とは関係なく発信者のことが嫌いな人は、すぐに共感して、傾いてしまうと思う。

自分で意見に共感したと認識する裏で、言葉の魔力に捕まってしまう。「的はずれ」という言葉は、便利で、使いやすい。

攻撃力。

そして、攻撃力が高い。「的はずれだ」という言葉は、本当は「お前とは意見が違う」というぐらいの意味のはずだが、発信している人が、的を得ているような錯覚すら引き起こすかも知れない。恐ろしい言葉だ。

おしまい。

むろん、この文章も的を得てない可能性は高いのですが、もしも、「的はずれ」という凶暴な言葉を浴びせかけられた時、この記事を読んだ人は、この記事のことを思い出して欲しいです。私は、思い出します。覚えている間は…。