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演劇集団Qプロデュース公演「先斗町心中」が新町別館小ホール(同志社大学)でかつてあった…ナカノ実験室という才能に出会えた。

今週のお題「選んでよかったもの」。

真北 2014/07/13 [11:54]

先ず間違いなく言えるのがプロデュース公演「先斗町心中」に参加したことですね.
あれがなかったらナカノ実験室という才能に出会えなかったわけですから.


ナカノ実験室 2014/07/13 [16:30]

おい!やめろよ!そういうのは!

先日、ジャンプ部屋を整理していたら、当時の舞台写真が出てきて、写っている人々が全員若くてビックリしました。

後、今日、夢の中で、ときわ萌さんが出てきた。3人目の子どもを妊娠中という正夢ありそうな夢でした。

思えば、あの芝居は、今現在に繋がっている部分が多かったです。むちゃくちゃな内容だったけど、思い出してみると、結構、面白かったし。金持ちはステーキ、貧乏人は素麺…とか。


真北 2014/07/14 [20:45]

ええ覚えていますよ.
ナカノ実験室という才能が随所に散りばめられた素晴らしい舞台だったことはね.
というか本番直前に「脚本間に合わない!」って話と「ナカノさんが代わりに書いてきた」っていう話とを同時に聴いたときに「へ?あーふーん.ん?あ?え!?え!!?」ってなった感じが今も忘れないです.
ナカノ実験室という才能が素晴らしかったです.

あと確かに萌さんお子さん3人くらいは居そうとは思いますが,よく知りません.


ナカノ実験室 2014/07/15 [10:15]

懐かしい。次に脚本のある芝居があるなら、あの当時の芝居のニュアンスでやりたいなー(おいしかった)。あの芝居、全てがカオスだった。

脚本を書いてきたのは、当時「脚本を書く」ことにハマっていて、エンディングが決まってるなら、その中間は作れるのじゃない?と書いてみたのでした。

ただ、他の人の書いた脚本が全採用されるわけもなく、一応、ときわ萌さんの「参考」となったのでした。


真北 2014/07/15 [12:32]

なるほど.それがナカノ実験室という才能のきっかけだったんですね.

ドラマ版いいひとの脚本が気に入らなくて高橋しんが原作から原案にしてくれと言われたパターンの逆ですね!

あの規模のものならお芝居また参加したいなぁ,とは思ったのですが,あれそういえば午前11時の回とか1日3回公演とか1時間足らずの芝居とはいえ妙にハードでした.

人生の3大「へ?あーふーん.ん?あ?え!?え!!?」ってなった瞬間は,前述のと,これの仕込みの時に幕の固定が材に50mmだったのに驚いてたら「うち(新町別館小ホール)はこうだから!」とさらっと言った○○さん(個人名だったので伏せ字)でした.


ナカノ実験室 2014/07/17 [10:54]

全てが懐かしい…。ホール入り期間が2週間とかあったっけ…。そろそろ、更新しておきますわ。


真北 2014/07/17 [12:05] 

そうですね.
単に10年前の芝居の思い出話になっただけですまんす.
これもナカノ実験室という(ry

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「演劇やって良かったかな」とは思います。脚本を書きだした頃は、部員の中で読んでくれる人がいるだけで嬉しかったのですが、そういう欲は、年々貪欲になってしまいました。

演劇やって良かったかな?脚本を書きだした頃は、部員の中で読んでくれる人がいるだけで嬉しかった…。 - ナカノちゃんねる