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体罰家族・忘れ物でビンタ1回、遅刻で拳骨1回、宿題を忘れて膝蹴り1回、不貞行為は焼きごて3年。

教育現場において指導的意味を含む行動の強制や暴力行為が『体罰』と表現されるが、「罰」というからには、執行者と罰を受ける者の了解に基づいた妥当性のあるルールである必要がある。多くの場合が執行者の身勝手な判断に任せられ、理性的でない罰は、体罰というには相応しくなく、立場に乗じた自分勝手な感情の氾濫による暴力である。

執行する者と、受ける者と、第三者から見た妥当性のある罰。肉体的な痛み、ダメージを伴う罰。それらを正式に『体罰』としたものが我が家のルールである。

「正(ただし)、今日、遅刻をしたそうだな。ルールに基づき拳骨1回だ。」

「できれば今日はビンタでお願いしたいかな。奥歯が折れそう。」

「じゃあ、1拳骨は3ビンタだ。ご飯の後で、用意しておきなさい。」

子どもは社会に出る前に、反省を痛みとともに味わっておく必要がある。このルールは息子が小学校に上がった時に、本人が理解できる日本語で了承を得た。自身が進藤家の一員として相応しくない行動を行った時にペナルティとして体罰が科せられる。結果として、痛みをともなう罰が当たられることで、今夜の例で言えば、正の遅刻の数は、これでも減った方だ。

「ごちそうさま。」

「よし、じゃあ歯を食いしばれ。それと先々月の自転車盗難と万引きの体罰が終わってないから、その分も追加で執行する。拳骨5回。」

「じゃあ、それもビンタでお願いします。うへー。今夜は18回か。とほほ。」

日常的な怠慢行為以外にも重要な出来事には別途、家庭内裁判が執り行われ刑が確定する。正は先々月、他所様の自転車の鍵を壊した上に、コンビニで万引きをした。これは、拳骨200回の量刑としたが、一度に執行すると正の生命を奪いかねないため、体調を考慮しつつ少しずつ執行している。拳骨は、重要な損傷を与えないために、服で隠れる部分として、1日に行う回数は10回までとしている。正も、最近、体格のもよくなり、痛みにも耐えるようになったから、上限の回数を増やしてもいいかもしれない。

「はぁはぁ、早く罪をなくさないと、貯まる一方だぞ。」

「今度、お手伝いでもするよ。」

「なんなら、減刑の申し出をしてもいいんだぞ。」

貯まった罪は、家庭労働を行うことで減らすことができる。例えば、定期的な草引きは拳骨を5回減らすことができる。また、拳骨1回を100円で減らすことができる。ただしこれは、金で罪を買えるという意味ではなく、1日の上限を超え、長期に渡る場合に、十分に反省が認められた場合による。

「さぁ、愛子(あいこ)、次は君の番だ。」

愛子は3年前に浮気をした。体罰のルール的には、焼きごての刑が3年間なのだが、現代社会においてあまりに現実的ではないので、実際にことが露見したあとに量刑を話し合いあった。話し合いの結果、100叩きならぬ10叩きとした。10叩きを6年とした。10叩きとは、剣道の竹刀で背中を10回打つという内容である。この2年で、愛子の背中の皮は鍛えられ、たまに触れると象のような感じになっていた。もっとも、私は実際に象に触れたことはないのだが。

象のように固くなっても、10回叩くとひび割れから少し出血する。すぐに、正がオロナインを塗る。母親への思いやり。これもビンタ2回分くらいの減刑の対象かもしれない。今度、家族会議の議題に上げてみよう。

「では、勤(つとむ)さん。最後はあなたの番よ。」

「もちろん。明日は部長とゴルフだからお手柔らかに頼みたいね。」

「そうはいきません。」

「ずるいよ、パパ。」

「分かってる。これは私の罪だ。ちゃんと受け入れるよ。」

私は2年前、浮気、浮気相手の妊娠、堕胎という不貞行為をした。家族会議の結果、死刑では?という意見も出たのだが、死刑を執行してしまうわけにはいかない。話し合いの結果、丸太、逆さ吊り、水責めを一生という結論に至った。それを今から今日の分を執行する。

「…はぁ、はぁ、はぁ…ごくっ!」

「ふぅ、ふぅ、ふぅ…。」

「ごぼ、ごぼぼ、ごぼぼ…。」

今は3人とも健康だが、やがて愛子も年をとる。正も結婚して、妻や子ができるだろう。私からすると嫁や孫にこの刑の執行を引き継いでもらえるのか?という懸念はある。まだ、私の中に減刑に値する魂の浄化は訪れてないが、将来を見据えて、金銭か、社会福祉活動などによる減刑の提案をしてみようと思う。だが、正と愛子の瞳の中に燃える大切な怒りは、まだ消えてない。

これは余談だが、心肺能力が鍛えられてしまったのか、ゴルフは少し上手くなった。