私が無職なのは働いてないから。健常者なのは、障がい者ではないから。なぜ、そうじゃないか?と言えば、運命的なモノになってくるのだろうか。「運良く」とか書くと、それだけで炎上しそう。
以下の記事を読みました。
- 人工透析をやっていますが、『人工透析患者』の「お金」の”秘密”を”暴露”します。 - だいちゃん.com
- [はてな][政治・経済][社会]生きることに金銭的スティグマが生まれるなら、社会が未成熟ってことだ。自分が払っている税金は、そうなる可能性に払っているのだと思う。
記事の本懐とは外れるかも知れないけど、ともかく生きるのには金が必要で!金金金!そして、生きることに必要なモノを社会から得ることに申し訳なさが生まれることが、そもそもおかしい。もしくは、日本人らしいってことだろうか。
ちょっとレベルを下げてみると、「自分は年収低いのに、安全な水を飲めてありがたい!とか、道路を舗装してもらってすみません!」なんて意見はあまり読まない。聞かない。
以前、高額納税者のお笑い芸人が、公共事業の工事現場を見ると、「お前ら、オレの金で土掘ってねんぞ!」とか言っていたのを思い出す。
命とお金、税金が同列に語られることの若干の違和感。
生活保護の不正受給などのルール違反はさておき、日本に生まれて、生きている限り受けることができる権利、福祉に対する「申し訳なさ」って何なんだろうか。なぜ税金を払うのか?世の中、皆のため、そういう基本的な部分、意識もまた未成熟なのかも知れない。
誰かを助けることができる社会とは、自分が同じ状況になった時に助けてくれる社会ではあるまいか。