大学院卒ニート、しやわせになりたい。

働かないで、アフィリエイトとか、ユーチューバーで幸せになりたいです。

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知人が亡くなりました、近くて遠い人が(maminismさん)。

maminismさんからの寄稿です。

知人が亡くなりました。‏

私の、近くて遠い人が亡くなった。

お葬式で、献花をした。

娘が悲しくなったようで、泣いていた。
私も泣いた。


亡くなった人を目にするのは、
これで人生2度目。

1度目は、まだ学生の頃だったので、その時の記憶はあるものの、感情や感覚は覚えてない。

今回、私は初めて、死というものを、少し客観的に理解する事ができたような気がした。
理解というより、死というものの入口に触れられたような感じ。


その人は、人形のようだった。
彫刻や蝋人形がどんなにその人そっくりに造られていても、それが生身の人間とはどこか絶対的に違うことを、私は感じる。

人形がその人そっくりであればあるほど、私は大きな違和感を感じていた。

それが何なのかが、その時わかった。


命がないことへの違和感だった。



だから、本人を目の前にすると、どうして悲しくなるのか、よくわかった気がする。

献花の時、私は、自分は生きているのだということを、強く感じた。

それは同時に、目の前で横たわっている人に命がないことを、より強く実感させられるということだ。

私はその人に触れることができなかった。
触れたかったけれど、怖くてできなかった。

死をこの手でより強く感じるのも怖かったし、
この人との心の距離の遠さをさらに実感するのも怖かった。



私は生きているんだな。

彼女のことを思うたび、
感じる。

彼女のことを思うたび、

私のこの手も、血の通った、生きた手であることを、改めて感じる。

私は生きているんだと。